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質疑応答208

【質問】


「邪に対する怒りは信仰のバロメータ」であると親鸞会で教えられますが、これは正しいのでしょうか。


【回答】


 親鸞会では、怒りにも「良い怒り」と「悪い怒り」があると考えています。

 そして、邪に対する怒りは、「良い怒り」であり、信仰が進めば進むほど強くなると教えられています。

 しかし、これは仏教と正反対の考え方です。



 まず、仏教では、怒りという感情は、「自分が正しく、相手が邪である」という考え方から起きると説かれています。

 相手が邪であると思うからこそ、怒りが起きるのですから、どんな怒りも「邪に対する怒り」です。

 どんな理不尽なことで怒っている人も、本人は「自分が正しく、相手が邪である」と思い込んでいます。そうでなければ、怒りは起きません。



 ですから、「邪に対する怒りは信仰のバロメータ」というのと、単に、「怒りは信仰のバロメータ」というのは同じ意味です。

 仏教では、怒りは悪だと教えられていますから、怒りを起こすほど、信仰が進むということはありえません。(信仰という言葉の意味も不明瞭ですが)

 もし本当に相手が悪を造っているのであれば、その相手は自因自果で苦しんでいるはずです。そういう相手に対しては、怒りを起こすのではなく、慈悲の心を起こすのが仏教の教えです。



 このように書くと、「蓮如上人が、切り刻みても飽くかよ、と仰っている」と疑問に思われる方もあるかも知れません。

 仮に、このように仰ったのが事実だったとしても、これは蓮如上人にも煩悩を出される面があったというだけのことです。

 蓮如上人といえども、仏様ではありません。煩悩で、怒りを起こされることもあります。これは仕方のないことです。



 よく親鸞会の説法では「親鸞聖人が万引をされることもありうる」という説明を聞きましたが、信心決定しても煩悩を起こすことはあるのです。だからといって、煩悩を起こすことが奨励されているわけではありません。

 例えば、善知識といわれる人が不倫をする可能性もありますが、「不倫は信仰のバロメータだ」といって奨励されることがあるでしょうか?

 仏教の考えからいえば、怒りを起こすのも、不倫をするのも、優劣はありません。怒りを起こしてしまったときは、「これは良い怒りなのだ」と正当化するのではなく、煩悩の起こしてしまったことを懺悔していくのが仏教なのです。
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COMMENTS

No title

ブッダは怒りを全面否定した。

知恵あるものは、怒りなし。仏さまは慈悲であり、智慧。

親鸞会は 相手のことを、本当にわかろうともせず、そこまで関わってもいないのに、都合が悪くなると
レッテルをはり、意に反した者は、迫害、除名。

世間よりも低レベルな、我利我利の団体。

独善で、勝他にとても力が入っているね。

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