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質疑応答209

【質問】


 親鸞会では、よく縦の線と横の線をひき、左端に「人生の目的」=18願=信心決定=無碍の一道 と書いて、ここを進んでいって、この世界にでるのだと説明されます。
 あの、横の線を進んでいくという表現自体は、親鸞聖人の教えに照らし合わせて、正しいのでしょうか?
 また、「真剣に信心決定を求める」ことは良いことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?



【回答】


 まず、最初にお願いですが、当サイトでは質問はメール(タイトルに記載)にて受け付けておりますので、次回からはそのようにして頂けますでしょうか。



「横の線」と「縦の線」ということにつきましては、親鸞会独自の「二河白道の譬え」の解釈が元になっていると思われます。

「二河白道の譬え」の詳細な説明は省きますが、この譬えでは、火の河、水の河に行く手を阻まれて一歩も進めなかった行者が、弥陀の呼び声を聞いてから、白道を一歩、二歩と進んで、やがて浄土に到達すると説かれています。

 この譬えを「横の線」と「縦の線」に当てはめるなら、「横の線」は弥陀の呼び声を聞いてから浄土往生するまでの道程、「縦の線」は浄土往生した時ということになります。



 ところが、親鸞会で説かれる「二河白道の譬え」は、親鸞聖人の教えと全く違います。弥陀の呼び声を聞いていない行者が、火の河、水の河をかき分けて白道を進んでいき、進んでいった先で呼び声を聞くというオリジナルの譬えです。

 親鸞会で説かれている「横の線」と「縦の線」の話は、このオリジナル二河白道に基づいて作られていると考えられます。

 ですから、親鸞聖人の教えを示したものとは言えないと思いますが、これは別のことを示した図なのだと反論されるかも知れませんので、断定は避けておきます。



 ついでに申しますと、親鸞会では19願の善の実践が「白道」を進むことになると教えていますが、19願の行者は化土に向かっていますので、浄土への道のりである「白道」に乗っかっているはずがありません。

 親鸞会の人たちは、18願と19願を足して2で割った「18.5願」というのを求めているのではないかと思います。



 次に、「真剣に信心決定を求める」ということについてですが、質問者の方が、どのような意味で、この言葉を使っているのか分かりませんので、何ともお答えしようがありません。

 親鸞会の活動のようなものを指して尋ねておられるなら、今まで何回も述べてきた通りで、当然、間違っているとお答えいたします。
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COMMENTS

No title

わかりやすい回答ありがとうございました。不慣れで気づかず(明記されていたのに)コメントに質問してしまいすみませんでいた。失礼しました。ある方が別のところで投げかけた質問でしたが、自分も気になるので親鸞会に詳しい方の色んな視点での意見を聞いてみたいと思い、質問させて頂きました。
確かに、二河白道を三定死(縦の線直前)まで進むイメージと重ねて聞いていましたし、そう思わせる話し方だと思います。
また、19願の道の先は化土往生。この当然のことが、けむにまかれて18願へ続く道とおもわされているんですよね・・。ありがとうございました。

No title

二河白道という、大変重要な善導大師の教えさえ、適当にパクッているから、
矛盾がでてくる、本当に、教義が薄っぺらく、間違っているわけですね。

七高僧の教えでさえ、見たり勉強した者を、除名したりする。
それは、親鸞会の教えの間違いが、暴露されてしまうからなのでしょうね。

見せれない会の書籍は、廃刊にして隠滅。
わずかな高森著作を自画自賛で営業してますが、高森教の何モノでもないです。
早く親鸞会の名から 親鸞をはずして欲しいものです。












No title

「二河白道の譬え」さえ、間違って解釈していること自体、高森氏の信心に疑問を持つに十分すぎる、事実だ。

いろいろな解釈ミス、パクリはあるにしろ、縦と横のこと一つ、説ききってきたと公言している。それが間違っていること自体、聞かされている者を本当に導けるのか、本当に善知識なのか、疑問を持って当然。

まして、もし間違っていることを知りながら説いているのなら、ペテン師のたぐいで、だまされていることに気づかないとけない。

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