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面白い資料がありましたので投稿します。
蓮如上人も、親鸞聖人に倣って「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号を中心に下付されたようで、「無碍光流」という邪義を立てたと批判され、比叡山による本願寺破却につながったそうです。


>  表(一) 蓮如上人の授与した十字名号と絵像
>
> 長禄元(1457)~寛正 6(1465)→十字21・絵像 5
>
> 寛正7(1466)~文明 7(1475)→十字 1・絵像 5
>
> 文明8(1476)~文明18(1486)→十字 0・絵像19
>
> 長享元(1487)~明応 8(1499)→十字 3・絵像16
>
>  この表(一)に掲げた本尊の数は、現存する裏書の中で年時の明らかなものだけです。従って蓮如上人の授与した本尊の一部にしかすぎません。しかし、この数字からおおよその動向を察知することはできましょう。


(出典:仏教法話データベースポータルサイト



 驚くことに、晩年に絵像本尊の御下付が増えています。
「蓮如上人が生涯名号本尊のみを礼拝された」という親鸞会の説が、いかにデタラメか分かります。

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COMMENTS

そのうち親鸞会は、蓮如上人を除名するんだろうか。

高森会長は、いかに、薄い知識で人を惑わしたか。

ダマされる方も、ウカツだったが、やはりだます方が百倍悪い。

しかし、自分を善知識と思い込み、我欲で、回りを不幸にしたケンテツは、悪知識。千倍悪い。

本尊を大事にしたいのか、したくないのか。
教えの通りにしたいのか、自分の主張を通したいのか、どちらかハッキリして欲しいですね

No title

親鸞聖人でさえ、我あやまてり、と仰ってられる。親鸞会だって、間違えることも
あるだろう。腹切り者とか、あまりできもしないことにこだわるより、間違いは間違いと、なぜ言えないのだろうか。
プライドが許さないんだろうが、ごまかしようもなく、間違いが多いわけだし、そこは謙虚になぜで直さないのかととても不思議に思います。
自浄、反省はできないのでしょう。もともとなのかもしれませんが、勇気を持った者はもういず、腑抜けの人しか残っていないのでしょう。あるいは、考えることを放棄した人の集まりなのですね。

No title

あそこでは「先生に間違いなどあろうはずがない!」なんて口に出させますからね。先生の扱いがすでに仏様と同じになっているのでしょう。

No title

自分では、間違いのある人間 と 謙虚に宣言してますが、会員、講師が、そんなことを言うことは、超タブーでしたね。

昔は、指摘、降格。今は 除名ですね。ひどいものです。

善知識は、友達、という立場だけれど、どうみても自分を神格化、仏化している。

やはり実態は善知識たのみに他ならない。
困ったものです。

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