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質疑応答216

【質問】


 仏教では、善にも2通りあると教えていただいたように思いますが、違いを教えて頂けないでしょうか。(前回の続き)



【回答】


 今回は「出世間善」について説明します。

「出世間善」は、「大乗善」と「小乗善」に分けられます。
 これは、大乗仏教から見た言い方ですが、浄土真宗は大乗仏教ですので、大乗仏教の立場から説明いたします。



 この2つは、一言で言えば、目的が違います。「小乗善」は苦しみから離れるために、「大乗善」は仏になるために必要です。

 仏にならなければ苦しみは無くならないのだから、同じではないかと思う方もあるかも知れませんが、そうではありません。

 確かに、苦しみから完全に離れ切るには、仏になる必要がありますが、少なくとも私たちが現在感じているような苦しみは、仏にならなくても解決することが出来ます。そういう苦しみから離れるための善が「小乗善」だと理解したら良いでしょう。



 以前にも書きましたが、仏様とは医者のようなものです。医者は、その知識によって、病気の苦しみを取り除いてあげることができます。

 仏様は、智恵によって私たちの苦しみを取り除いて下さいます。その苦しみを取り除くための方法として勧められるのが小乗善です。ですから、小乗善を実践することによって、今の苦しみから逃れることができます。

 しかし、病気が治ったからといって、医者になれるわけではありません。同じように、小乗善をいくら実践しても仏にはなれないのです。



 さて、野口英世は医者に左手を治してもらったことに感激し、医者を目指すようになったと言われていますが、仏様によって苦しみを取り除いてもらった人が、「私も仏様のように人々を助けてあげたい」という心を起こすことを菩提心と言います。

 そのためには、医者が医学を身に付けるように、仏の智恵を身に付けなければなりません。私たちは煩悩によって真理が見えなくなりますので、煩悩を滅するための行として「大乗善」が必要になってくるのです。

 ですから、今の苦しみから逃れたいだけであれば、「大乗善」をやる必要はありません。「小乗善」だけで十分であり、実践も可能です。



 菩提心を起こした人は、仏になるまで「大乗善」を実践していかねばなりませんが、私たちは途中で投げ出してしまうため、自力では仏になれないと言われます。

 しかし、阿弥陀仏のお力によって菩提心が起きた人は、途中で脱落することなく仏になるまで進ませて頂くことができると説かれています。それが二河白道の譬えなのです。

「大乗善」の中の「有漏善」と「無漏善」の違いについては、後日説明いたします。
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COMMENTS

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清森さんは浄土真宗の布教を目指してるんですか。
清森問答では善とか因果とか広義の予備知識的な記事がほとんどで、浄土真宗の本流の教えにはあまり触れていないように散見しますが。
実際のところ真宗の肝要である信心決定~往生までの道筋についてどうお考えなんでしょうか。

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