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質疑応答36

【質問】


> 「若不生者」の「生」を、「信楽に生まれる」と解釈されたお言葉は、存在しないと思います。

>  上記のサイトも読ませて頂きましたが、田中さんの主張の方が、筋が通っており、正しいと思います。


という部分を読ませて頂いて、自分の理解が、間違っていたように思いました。

つまり、「若不生者」の「生」を無明の闇を破って頂いて、信楽の心に生まれさせて頂けると理解していたからです。


そこで、お尋ねしたいのですが、

・「若不生者のちかいゆえ」の御和讃は、そもそも親鸞会が正しいという根拠になるのでしょうか。

・また、本当は、どのように理解すればよろしいでしょうか。



【回答】

 「若不生者のちかいゆえ」の御和讃については、「時至り」の解釈が問題になると思いますが、古文の文法については、詳しく知りませんので、古文を教えている知り合いに、文法的な意味を教えてもらいました。

 以下に引用させて頂きましたが、やはり、「若不生者と誓われているから、信楽がまことに時至るのだ」とは読めないようです。

        *      *      *

>  さて、ご質問の件ですが、“至り”という単語は、古語ではラ行四段活用になり、
>
> 語幹 -至
> 未然形-ら
> 連用形-り
> 終止形-る
> 連体形-る
> 已然形-れ
> 命令形-れ
>
>  このように活用します。“至り”は連用形ということです。
>  連用形には、4通りの使い方があります。
>
> 1、用言が続く(連用法)
> 2、文を一旦区切って、そのまま次に続ける(中止法)
> 3、名詞に転じる
> 4、助動詞、助詞が付く
>
>  ご質問の文章では、“至り”で止めてありますので、2か3の用法です。
>
> 2は、現代語で分かりやすく言えば、“酒を飲み(連用形)、酔っぱらって帰った”というような使い方です。
> 3は、例えば“遊び”という“遊ぶ”の連用形が、名詞のように使われている場合です。(ちなみに古語では“演奏”という意味です)
>
>  ご質問の文章では、名詞的に使われていませんので、2の用法になります。
>  ですから、御返答としましては、
>
> “信楽まことに時至り”で切ることはできませんので、“信楽まことに時至り、一念慶喜する人”を、一つの言葉として、訳してください。
>
        *      *      *

 上記の説明からも、この御和讃は、

阿弥陀仏が、若不生者と誓われているから、
『信楽にさせていただける時がまこと至って、一念慶喜する身になった人』は、
必ず浄土往生できると定まるのだ。

と理解するのが正しいと思います。

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