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投稿(質疑応答38)

 質問ではありませんが、元学徒の方から、以下のような御意見を頂きましたので、紹介させて頂きます。


          *        *        *

教行信証というのはもともと明恵高弁が、菩提心までを否定してしまった(ようにみなされていた)法然上人の選択集を『摧邪輪』で攻撃したので(蛇足ですが私はこの明恵という人間もなかなか好きです)、師匠が浄土に先に旅立ってしまったがゆえに、やむをえず親鸞聖人が理論的に反論した著というように考えています。


つまり、教行信証は、「真宗が仏教でありしかも本流である」ことを示そうと意図した書物わけで、その対象(対機)はあくまでも聖道門や他流の学者であり、決して一般大衆ではないわけです。ですから、反論の書であるこの教行信証の論理を「ご本典」として重視しすぎてしまいますと、どうしても自是他非的な原理主義に傾いてしまうように感じます。

親鸞聖人が一般信徒によく読むべし、といわれたのは選択集でもなければ教行信証でもなかったわけです。

 「和讃」や隆寛律師の「一念多念分別事」とその注釈書の「一念多念文意」、聖覚法印の「唯信抄」やとその注釈書の「唯信抄文意」、『自力他力の文』、『後世物語聞書』などを読むべし、と勧められておられたわけです。

・よくよく『唯信鈔』を御覧候ふべし。

・また、親鸞も偏頗あるものとききそうらえば、ちからをつくして、『唯信鈔』・『後世物語』・『自力他力』の文のこころども、二河の譬喩なんどかきて、かたがたへ、ひとびとにくだしてそうろうも、みなそらごとになりてそうろうとこきこえそうろうは、いかようにすすめられたるやらん、不可思議のこととききそうろうこそ不便にそうらえ。

・よくよく、『唯信鈔』・『後世物語』なんどを御覧あるべくそうろう。


いくらでも出てきますね。

 蓮如色の薄い、もともとの親鸞教義に立ち返り、親鸞会が採用してきた、教行信証の自是他非的原理的、排他的な布教方法でなく、融和的な部分を強調することが必要ではないかと思っています。もちろん譲れないところはあるわけで、安易な妥協はいけないと思いますが。私見ですが蓮如色を強くすると本来の釈迦回帰運動としての大乗仏教色が薄れるように思います。かといって東本願寺教学もあまり好きではないですが・・。


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