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親鸞会教義の相対化・5(質疑応答46)

(続きです)



最後に他宗教に対する態度も、
もう少し考え直していかなければならないと思います。

特に、キリスト教を「因果がない」という理由で批判するのは、
全く的外れだと思っています。


キリスト教と仏教では、人間の倫理を支えるものが異なっています。
仏教にでは、「善因楽果・悪因苦果」「自業自得」の業思想=「因果の道理」
が人間の倫理を支えていますが、
キリスト教においては、創造主である神の、
絶対的な「神の律法」が人間の倫理を支えていて、

いずれも、現在の努力が未来に影響することを保障するものであり、
未来をより良くするため、現在に努力することの根拠となるものであって、
これでもって、人間の倫理を支えているのですから、

キリスト教を、所謂「六師外道」の道徳否定論者のように決め付けるというのは、
全くもって的外れな批判と言うしかないと思います。


私は、退廃的で、造悪無碍な浄土門こそ、
これ以上ないほどの「外道」だと思っています。

キリスト教のように「神の律法」という倫理を支えるものもない状態で、
「念仏申したら何をしてもいいんだ!」と本願ぼこりに陥って、
造悪無碍になってしまった浄土門の人よりも、

私は、神の律法を守り、誠実に生きるきちんとしたキリスト者の方が、
人間として尊敬できるし、その信仰を否定する理由は、私には見出せません。


よく、キリスト教の「処女懐胎説」をもって、
キリスト教を批判したつもりになっている人がいたりしますが、

「お釈迦様が右脇から生まれた」とか、「誕生時に七歩歩いた」とか、
そういった伝承をそのまま伝えている仏典だって、
それを信じる我々には常識であっても、他宗教の方からしたら、
突拍子もないものであると思います。

「お釈迦様が右脇から生まれた」というのは、リグヴェーダから取材したもので、
「誕生時に七歩歩いた」というのは、当時の通過儀礼と言われていますが、

キリスト教でも最近は、こういった聖書の表現は、
深層意識に根ざした象徴的次元を持つ言語表現であるということで、
この「処女」という意味を生物学的・生理学的にとらずに、
「イエスは、確かに我々と同じ人間だけど、同時に神性を持っている。
 という意味で、普通の人間とは違う」
という信仰上の思いを、この「処女」という言葉で表現しているという、
「非神話化」的解釈を提唱するブルトマンのような学者もおられます。

「右」が古来インドで清浄と考えられたことと、

かれらが原人を切り刻んだときに、幾つかの部分に分割したのであるか?
彼の口は何になったのか?彼の両腕、両腿、両足は何と名づけられたのか?
彼の口はバラモンであってた。彼の両腕は王族・クシャトリアとされた。
彼の両腿はヴァイシャとされた。彼の両足からシュードラが生まれた。
(リグヴェーダ X,90,11-12)

というリグヴェーダの記述から、
お釈迦様がクシャトリア出身であることを強調するために、
「お釈迦様が右脇から生まれた」という伝承を仏典もしているのですから、
もっと謙虚になって、キリスト教を批判すべきではないと思っています。

現在の学会で最古の仏教聖典として承認されている、
『スッタニパータ』には、

 偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、
 これらに依存して他の説を蔑視し、
 自己の学説の断定的結論に立って喜びながら、
「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。(887)

 かれは過った妄見を以てみたされ、
 驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いなし、
 みずから心のうちでは自分を賢者だと自認している。(889)

 自分の道を堅くたもって論じているが、
 ここに他の何びとを愚者であるとみることができようぞ
 他の説を、「愚かである」、「不浄の教えである」、と説くならば、
 かれはみずから確執をもたらすであろう。(893)

 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、
 さらにかれは世の中で論争をなすに至る。
 一切の哲学的断定を捨てたならば、
 人は世の中で確執を起こすことがない。(894)

 これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と宣説する人々、
 ―かれらはすべて他人からの非難を招く。
 また、それについて(一部の人々から)称賛を博するだけである。(895)

 たとい称賛を得たとしてもそれは僅かなものであって、
 平安を得ることはできない。論争の結果は(称賛と非難との)二つだけである、
 とわたしは説く。
 この道理を見ても、汝らは、無論争の境地を安穏であると観じて、
 論争をしてはならない。(896)

とあって、きちんとした知識もないまま、
偏見でもって他宗教を貶めたりすることは、
大いに戒められていることですので、
私は他宗教であっても、無責任な批判は絶対にしてはいけないと思います。

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