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質疑応答47

【質問】


 上田先生のご説法で、善知識から善の功徳を頂いて、その受けた善によって、弥陀の19願の善(お釈迦さまの説かれた聖道仏教の善)が出来るようになる(習慣化している状態、身についている状態)ことを知りました。

 そこで質問があるのですが、仏教を全く聞いていない人でも、仏教で言われる善の実践が出来ている方もあるとお聞きしましたが、

 「仏教を聞いて善の実践が出来ている人」と「仏教を聞いていないで仏教の善が実践出来ている人」とで、どのような点が決定的に違っているのでしょうか。
(例えば、信仰の進み方の相違とか・・・etc)



【回答】


 善といっても、より真実に近い善もあれば、汚れた雑毒の善もあります。ですから、仏法ではより清らかな善をすることが、宿善になると教えられています。

 しかし、仏教を知らない人は、善をやっていても、より清らかな心にしようという努力がありません。

 それに対して、仏教を聞いている人は、清らかな善をしようと努力します。これが決定的に違うところです。

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