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親鸞会教義の相対化・7(質疑応答50)

(続きです)


『教学聖典』(1)【問7】

大乗仏教と小乗仏教とはどういうことか。
どこが違うか。

○小乗仏教――ききあやまって伝えられた仏教。
     ――我利我利の教え
○大乗仏教――正しく伝えられた仏教。
     ――自利利他の教え



小乗仏教=きき誤り=我利我利。。。

今の時代にこんなことを言っていると、誰にも相手にされなくなると思います。

今日、「小乗」という言葉が使われていますが、
それは「大乗」の側が一方的に蔑称として使った言葉であって、
大乗仏教と呼ばれるもの以外の総称として用いるのには、
あんまり適切な言葉ではありません。

「大乗」の側から見たら「小乗」の人は、
何もしなくて、全然利他がないように言われますが、

この初期仏教の「慈悲」の用例を見ると、
「何もしない」というのは、自利のみに拘泥して人々に教えを説かない人を指すわけですし、
大乗仏教といわれるものに属する坊さんでも、そういう人はいるんですよね。
(僕も、それかもしれないし。。)

「大乗仏教」ではない仏教を信奉するお坊さんには、
実は、僕みたいな生臭坊主なんか問題にならないぐらい、
正法を説いて、衆生を教導して、来たれと教えの中に呼び入れて、  
人々の尊敬を集め、人々を迷いから救っているお坊さんは沢山いたりします。

僕の母校に社会福祉を勉強に留学されていた、
スリランカのテーラバーダのお坊さんとか、
きっちり律を守っておられて、人格的にも本当に素晴らしい方で、
心から尊敬できる方でした。

日本在住のスリランカ人の集う花祭りにご一緒させていただいたことがあるのですが、

本当に多く方から、心からの尊敬を集めておられて、
僧侶のはしくれとして、襟を正さなければならないと思いましたよ。

文献学的にも、たとえば「六波羅蜜」なんかは「大乗仏典」のみならず、
説一切有部の文献にもバンバン出てきますし、
パーリの仏典には十波羅蜜なんてものもあります、
そんなところから、「小乗」と対立的に「大乗」があったんじゃなくて、
仏教教団内部から新たに「大乗」という運動が起こったというのが、
現在の一般的な見解ですから、このような発言は絶対にすべきではありません。


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