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投稿(質疑応答68)

学徒の方から頂いたメールですが、本人の了解の上で、紹介させて頂きます。

        *        *       *

清森さんとご縁があった私からすると、他の講師の方々の法施の姿勢には、疑問を思うところが、以前からありました。

特に今の私の支部長の姿を見ていると、学徒へ法施も充分にしないままに「富山へ行きましょう」「聴聞が一番です」と勧めています。

ビデオご法話をし、「こう話しなさい」と決められた10分説法を行って、その後、講師自らの言葉で話す内容は「富山へ行きましょう」です。

私が、講師の方から聞きたいのは「富山へ行きましょう」ではなく、『親鸞聖人のみ教え』なのにです。

ビデオをセッティングして上映し、決められた10分説法を話すのなら、一般の会員さんでも出来る事です。

講師部でなければできない事とは、一体なんでしょうか?

それは、より高森先生に近い立場にいて、布教講義等で直接ご教導を受けているからこそ出来る、講師部員だからこそできる「情熱溢れる法施」ではないでしょうか。

その情熱溢れる法施がなくて、一般会員でもできることをやってあとは事務作業をやって、ということでは、いったい講師の存在意義は何なのか、ただ富山への交通手配をするガイドさんではないかと思います。

もちろん、そういう講師部員だけではなく、熱いっぱいの法施で、学徒の皆さんの信頼をあび、慕われ尊敬される講師部員の方もおられるとは思います。

しかしながら、私が縁あった講師の方々は、対機説法とは程遠く、、機械的な思考で応用力が無く、一定の機械的な話ししか出来ない方の割合が多かったと思います。あくまで主観ですが。

「富山へ行きましょう」とか「ぜひ富山で高森先生から聞かせて頂きましょう」とか言われなくとも、講師の方の、仏法に対する真剣さから溢れる法施があれば、「行け」と言われなくとも富山へ行きたいと自然に思いますし、「高森先生から聞かせて頂きましょう」とわざわざ言われなくとも、高森先生から直接御説法を聞かせて頂
きたいと自主的に思うものです。

誤解を恐れずに言えば、学徒に必要なのは、お弁当屋さんや大きな施設ではなく、「法施」これ一つだと思うのです。

ただ、「法施せよ」と言われても、講師部員の中で、相手に応じて話し方を工夫できる方は、少ないのが現状だと思わずにおれませんが。
色々悪く言う人もいるようですが、私の個人的な意見で、児玉学友部長さんは、親身になって私に合わせて指導して頂いたことがあるので、私は児玉さんのように相手に合わせて自在に話を出来る方が多くなれば良いのにと思っています。

長くなってすみません。思うことを書かせていただきました。


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