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私の白道・1(質疑応答74)

元親鸞会講師部の方から、頂いたメールを紹介させて頂きます。

高森先生への批判があり、心が痛みますが、的を射た鋭い指摘です。

親鸞会が更生するには、過去の過ちを懺悔して、立ち直って頂くしかないと思います。

全人類が、本当の幸福になるためには、親鸞聖人のみ教えを正しくお伝えするしかありません。

高森先生、そして親鸞会幹部の方の耳に届くことを念じて、アップさせて頂きます。


          *           *           *

合掌

 清森問答、上田さんコーナー、T社と田中氏との法論を毎日、見ています。

 大沼さんの受け売りで、「若不生者、不取正覚」で信楽の身になれると50年、教えてこられたので、今更、大沼さんが、根拠です、とは言えない。本願、間違えていたでは、済まない。切腹ものだから、辻斬り強盗とありましたが、これは高森先生の本音に違いないと思います。
 みっともない位、話をはぐらかそうと、必死です。清森さんからも根拠はありません、と追撃を食らい、今頃、除名にしなければ良かった、と後悔されていると思います。

 高森先生は都合が悪くなると

1.嘘をつく

○支部長制度は講師部の要請です。
○局長の不倫疑惑は、でっち上げだ。写真もビデオも捏造だ。
○財施をこれだけせよ、と言ったことがない。
 建立財施も他も「本会から本部長に目標財施が来る」
○華光会時代の事、高森先生の過去をカットする。
○会報、光に向かって、お歌、盗作なのに自作のように思わせる。


2.黙って説明をしない、無視する

○蓮如上人500回忌の延長理由を言わない
○財施の収支報告をしない

3.コロコロ変更する

○光戦以上の法施はない。
 現在はアニメのことを何も言われない。
○光戦によって、本願寺は変わる。
 現在は、「なぜ生きる」で世界の小杉になる。しかし会員は激減。
○ビデオ講師部制度は変わり通し。講師部が行けない会員さんに法施をする。法領も固定。
 現在は、皆さんが希望されたから、やめるのも自由です。
○支部長制度になれば、布教は自由にする。
 現在は10分間説法とビデオ御法話だけ
○布教局長は上司ではなく、布教の相談役のようなもの。
 現在は独裁者。権力の集中化、10講制度で縛り上げ
○支部長は布教に専念して、パソコンなどに時間を使うな。活動報告は自由。
 現在は、参詣、財施、会費、通達、活動報告のために長時間を費やす。


 しかし、これも親鸞会を発展させるため、守るため、と言われれば、熱心な会員さんは、皆、目をつぶり、自分に納得させて耐えて来たのです。

 でも今回の問題は全く質が違います。

「親鸞聖人のみ教え、阿弥陀仏の本願だけを伝える。親鸞会が、高森先生が、阿弥陀仏の本願を間違えて伝えていた。その元は、大沼法龍氏のパクリが原因であった」
 = 高森先生は正しい信心、教学があるのだろうか?

 これは親鸞会を根底から、ひっくり返す、これ以上ない大問題です。
 まさに50周年目に起こされた阿弥陀仏のドラマと私は思っています。
 このまま、じっと阿弥陀仏が見ておられる筈がない。今に何かが起きると、ずっと思っていました。

 中でも教学を信じている人ほど、ショックです。講師部、親友部、特専部、学友部、幹部の動揺は大変なことだろうと思います。高森先生の血圧は上がりっぱなしでしょう。
 自説に対する疑い、信用、不安が広まらないか、皆、どう思っているか、知りたい一杯でしょう。

 T社説を徹底講義して、田中説の間違いを何とか徹底させたい、何とかしなくては、の思いで、頭が一杯だと思います。

 講師部も
「阿弥陀仏の本願は、すべての人を絶対の幸福に助ける、というお約束です」
「先生、根拠は何処ですか」
「ハイ、本願文に若不生者、不取正覚とあります」
「親鸞聖人はどこに、そのように教えておられるのでしょうか」
「・・・それは・・・」自信を持って説けなくなるから、大問題です。

 ただ、親鸞聖人に根拠がなかろうと、高森先生に間違いはない、私はそれでいい、という人が大勢だと思います。

 しかし、千丈の堤も蟻の一穴より崩れると言われますので、おかしいと思う講師部、会員さんが現れたら、予想のつかぬ事態になるとも思います。

 清森さんの発言も大きな力になりますから、よくよく注意して伝えてください。

高森先生は

○アニメの批判者の会員を除名
○大島一声への批判文、パンフ配布
○瓜生氏への局長、総長の批判声明の発表
○法話ビデオダビング者へは除名処分

 異常な程、自分を批判する者に対して執念を持たれる性格の方です。

 清森問答も当然、チェックして、教学部にも攻撃させる用意位はさせているでしょう。

○この説明をせよ、親鸞会批判は許さぬ、法的に対処する。
○責任をどう取る、謝罪せよ、布教をやめよ・・・

 こんなことは平気でやる集まりが親鸞会だから、言質を取られぬ様に、注意に注意して、発表した方が良いと思います。そうしないと、その対処に精神的、時間的に大変な労力を費やすことになりかねます。


 親鸞会会員は、信心決定しか、頭にありません。念仏も往生成仏も、あとについてくることだから、兎に角、獲信、獲信、宿善、宿善、活動、活動、人集め、金集め、会合、連絡・・・の心境です。
 私もこれを、ずっと続けてきました。

 なぜ大沼さんが若不生者を信楽の根拠にしたのだろうか、と改めて読んでみますと、
『若不生者の誓いゆえ・・・』
『生まれるべからざるものを生まれ・・・』
『信受本願、前念命終・・・』
 根拠も高森先生と同じ。ここをそのまま、鵜呑みにした事がハッキリします。

 大沼さんの信心はどうであるか、ということは私には言えませんが、救われた喜びは、名号六字丸貰い、仏凡一体としか、言い様がありませんが、この弥陀の大願力、お慈悲は念力だ・・・、若不生者の念力だ・・・と、これまで誰も言わなかった、あれほど御聖教をやかましく言う大沼さんが、親鸞聖人の根拠にもないことを、はっと思いついて、言ったのでは、と想像しています。

 それを高森先生が盗作されたために、その説明がつかず、まさか大沼説などと言える筈もなく、大問題になったのでは、と思われます。

どんな人でも(すべての人を)
絶対の幸福に
必ず助ける

 これが若不生者の誓いです。(親鸞会)

この世を絶対の幸福になって暮らしたい、人間に生まれて良かった、と生命の歓喜で生きたい。これをよくよく考えてみると「よく生きたい」「どう生きる・生き甲斐」と、どれほど違うのか、と思えて来ました。

 親鸞会会員は、信心決定、宿善しか頭にありませんが、名号六字の功徳、念仏、往生する、成仏することについて、どれほど関心があるでしょうか。知っているでしょうか。
 仏教の目的は、この世を安心して、生きることでなく、六道の迷いを離れて成仏することですが、どれほど意識して活動しているでしょうか。
 自分はどのように話をしてきただろうか、と最近よく反省せずにおれません。

 恥ずかしいことに参詣、財施、顕正、教学受験、目標達成、何より今日の生活が出来るかどうか、内心、何より関心があったのは、こっちの方でなかったか。
 
 往生成仏など、1%も頭にあっただろうか。

 さぞかし立派な心で求道、活動しておられるだろう、私達の支部長は、と会員に思われる様に言動しなければならない。
 講師部同志でも、信心の沙汰もなく、ミスをしないよう、チクラれないよう、「心口各異、言念無実」虚仮だったなあ、恥ずかしい求道だったなあ、皆、如来様は見ておられたのだ、早く自分の値打ちを知れよ、と見ておられた。ああ、このままだったとは、申し訳がない、勿体無い、南無阿弥陀仏。


●T社の質問に、信楽に

 どうして生まれる - 聞其名号
 何の力で生まれる - 名号
 いつ生まれる   - 乃至一念、即得往生

 若不生者の本願成就文の根拠は - 名号がそれである


●田中氏の答えは正しいと思います。

『本願名号正定業、至心信楽願為因』
『無碍光如来の名号とかの光明智相とは、無明長夜の闇を破し衆生の志願を満てたまう』
『光明名号顕因縁、開入本願大智海』

 若不生者の念力で信楽になると、なぜ大沼さんは言ったのか。大沼さんは本願寺の十劫安心、無帰命安心、「念仏称えていれば死んだら極楽、死んだら仏」仏法の有り難み、のみを説いて、機を説かぬ、と多くの著書に書いている、批判している。

 高森先生の本願寺批判も同じだった。

その反動が、この世で絶対の幸福になる(信楽)
信前の念仏など何にもならぬ、助からぬ
ここにこそ、阿弥陀仏のお力、念力がかかっているのだ、

となったのでは、と考えています。だから左から、右への反動だと思います。

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 救われて分かることは、阿弥陀仏の仏心を知らされることも難の難ですが、しかし悪業煩悩しかない、この私が往生成仏するということは、どえらい事だなあと、日に日に思えてくるのです。

 観経のイダイケ夫人の救いは過去に修行していた人だ、凡夫が往生成仏の身に、この世でなれる筈がないと、天台達がいったのは、彼等にはそれほど成仏するということは、どんな大変なことか、尊いことかが分かるからです。
 救われれば、易往なのですが、これを信じられることは、これまた難だから、阿弥陀仏は命がけで、どうか信じてくれ、必ず仏にしてみせると誓われたのだと思わざるを得ないのです。決して決して、当たり前と思えることではないのです。
 悪業が知らされるほど、この悪業を断ち切って仏にさせるために、どれほどの、いかほどのご苦労をなされたのか、ご修行下さったのか、申し訳ないことだと、ただ念仏申すばかりなのです。

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・衆生性得の機
・如来回向の機
・本願疑惑の機

この三つ、ハッキリと説かねば、聞かねば、知らねば、弥陀に救われません。
この如来回向の機が分からねば、本当の本願疑惑の機もわかりません。
善知識でなければ、分からない、説けないところです。

清森問答に、最近は念仏の事について、また発言者の意見を通して、親鸞会の問題点を明らかにしてあるので、考えてやっているな、と思って見ています。

しかし、この三つの心を正しく説かねば、導くことは出来ません。
救われるとは、この三つ共、ハッキリと知らされる、ということでした。

★聞其名号の
『聞というは衆生、仏願の
 生起【衆生性得の機=機の深信】
 本末【如来回向の機=法の深信】を聞きて
 疑心【本願疑惑の機】あることなし』

いろんなことを教えたいでしょうが、救われるために絶対、知らねばならぬ、この三つの心、明らかに皆さんに知って頂きたい、と心から念じています。


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