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私の白道・2(質疑応答80)

元講師部員の方から、掲載の希望がありましたので、以下に紹介させて頂きます。


       *        *        *


○  3月10日の質疑応答74の私の発言を多くの方が読まれたことを知り有難く思います。同時にこの元親鸞会講師部とは誰か、何の目的でこんな発言をするのか、真意が分からないと思われた方も多いと思います。

 氏名を明かさない理由は後日お知らせ致しますので、今日は真意をお伝え致します。

 私も清森発言の有ることを知り関心を持って見て来ました。
 除名されても何とか親鸞会に正しい親鸞聖人のみ教えを伝える団体になってもらいたいの気持は尊いと感じました。

・ 2月25日 質疑応答62に親鸞会の未来を非常に憂慮し何とか立ち直って頂きたい、として清森さんは以下の案を提示しました。

(1)学生に対する新勧活動を中止する。
(2)目標制度の廃止
(3)本来の支部長制度に戻す。
(4)富山に集めるのではなく、地方に分散させる。
 
 私はこれを見て、ああこれでは駄目だ、発言しなければならないと思いました。これは枝葉だ、親鸞会の真の問題の本質ではないと感じたからです。
 この思いを清森さんに伝えたところ、了解されアップされることになりました。本当に不思議なご縁であり、これ皆 阿弥陀仏のお手回しと思わずにおれません。


○  私は「顕正」を読み、高森先生の説法を聴聞して高森先生だけが現在唯お一人の善知識(体験・教学の徹底した)であると確信して数十年求めてきました。
 講師部こそが信心決定の最短の道と思い決心して飛び込みました。   
 本願寺は真実説いていないくせに、高森先生を批判している、許せないと20数年前、本願寺座り込み行動にも会員を誘い参加しました。
 本願寺の沈黙でやはり高森先生はすごい、善知識だと改めて尊敬したものです。
  
○ 「アニメ」で本願寺は変わる、大津波に飲まれると高森先生は言われたので、必死で会員さんと1軒1軒アニメ頒布に10年近く回りました。
 重いアニメ鞄を持ち続けていた為、腕を痛め整骨院にも通いました。  
 100万頒布しても、まだまだ琵琶湖に小便したようなものだと豪語され、そうか頑張らねばと思ったものですが、今はアニメ頒布に全く力が入っていません。
 「アニメ以上の布教はない」と叫ばれたあの頃の熱意はどこへ行ったのでしょうか。
 今度は本願寺が親鸞聖人のアニメを出すらしく諸行無常で何が起きるか分からないものです。  
 しかも昨年からアニメの内容の問題点を指摘する人が現れ、今大変なことになっています。思わず「辻斬り強盗にあったようなもの」と反論されているが実感がこもっている。

○ 「なぜ生きる」こそ全人類の光となる御著書と言われベストセラーにする為だからと指示があり、幹部の方と指定の書店でまとめて買っては本会へ提出してきました。
 ウソのベストセラー作りに協力して、こんなことでいいのか、素晴らしい本なら口コミでも広がるはず。会員さんも出版された時だけで、今は余り読まれていない。私自身、12冊も持っている。
 今度の「歎異鈔をひらく」もそうならなければいいがと思います。
 やはり財施もまた募られ大変だと耳に入っています。

○  正本堂建立について高森布教局長から「正本堂で1万人にご説法されるのが、高森先生の長年の夢だ。だから今の会員数では足りない。もっと顕正して御苦労、御心にお応えしよう」と幹部を前に発表があった。
 おかしいと思った。
 いつの間にやら、顕正の目的がずれてきている。気付いた方もあるはずです。  
 親鸞会は後生の一大事の解決を目的としている筈が、人集めが目的になっていないだろうか。
 今年は親鸞会50周年で顕正目標が高いと聞いています。
 M支部長が夜の1時頃会員7名で退会希望者の家に来て3時頃まで居て、退会するならお仏壇の正御本尊も返却せよと迫った話もここの狂いから生じていると思います。
 退会したい理由を良く聞き、仏法の聞き間違いなら順々と話するのが支部長ではないか。日頃の自分の法施、育成不足が原因となぜ反省せずに夜中に乗り込むのか。付いて行った会員は自分も退会を言い出せばこんな目に合うのかと恐怖を感じる、是も狙いだったのか、誰だこんな非常識な支部長は。名前を知ってやはりなと思いました。

 高森先生の夢を実現させる為に活動しているのだろうか、と疑問が膨れあがる。明らかにおかしい。   
 支部長の口からは参詣、財施も何かと言えば「高森先生の御心、ご苦労、ご恩」ではないだろうか。
 なぜ「阿弥陀仏の願い、ご苦労、ご恩」が切実と語られないのか。   
 親鸞聖人は正信偈に「帰命無量寿如来 南無不可思議光」であり、歎異鈔は「弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて」で始まるではないか。
 想いの強い方が先に出るからではないだろうか。


○  顕正目標達成にに苦心し、何より本会から来る財施目標の達成に眠れぬ程悩みました。会員さんの現状を知ると本当に辛かったです。
「財施を勧め切れないのは、仏法が分かってないからだ」と各地の予約達成表を前にいて布教局長に叱られ、そうなんだと自分に言い聞かせ集めるしかありませんでした。
 ところがそんな苦労したのに収支報告が無い。
「仏法以外に使われてはいません」と済ませてしまう感覚に疑問が出て仕方ありませんでした。しかし立場上そんなことは言えません。
「尊いご縁を結ばれましたね」と不審が出ぬように気をつかいました。
 これが最後の財施だったはずの正本堂の後も次々募られてゆく。
 財施が悪いと言っているのではありません。
 その財施や金額が本当に必要か、財施理由が正しく理解され、される本人の自由意志であり、収支報告が正しく報告されるべきです。 
 そんな常識的なことが出来ぬぬ理由こそ親鸞会の問題ではないでしょうか。
 不審が起きて当然です。

○  高森先生は阿弥陀仏に救い摂られるには、18願の世界に入るには三願転入、19願の諸善万行、20願の念仏の道を通るのですと何十回と説いておられます。
 しかし、19願 諸善万行、善の勧めの通り実行されているでしょうか。
 高森先生が数年前の講師部会合で、「講師部はまだ19願の入り口にも入っていない」と注意されたと正直な講師部員より聞きました。 
 また「信心決定していなくても、聞く人の為ならウソで信心決定していると言っていい」と言われたが私はとても言えない、とこれまた正直に教えてもらいました。
 私が元講師部であり気を許して言われたのでしょうが、その講師は「私は何十年聞いているけどまだまだです」と、本心隠さず自身の信心を告白され尊い、真面目な方だと頭が下がりました。
 最近、自称信心決定の支部長が多いのはその為ではないでしょうか。  
 本当ならこんな尊いことはありません。心から喜ばずにおれません。  
 ここを読んでおられる会員さんの支部長はどうでしょうか。  
 私が退部する前の講師部員で信心決定している方はありませんでした。 
 清森さんも同じ意見です。  
 昨年、上田祥広さんが信心決定していると言ったので高森布教局長から激しく異安心だと責められ、結局除名になったことを知りました。
 今、信心決定していると言っている支部長は除名にならないのでしょうか。布教局長さえ未だ信心決定したと言われないことを、そんな先に言って大丈夫かと心配になります。不思議です。

○  教えは確かに三願転入ですが、実行となるとどうか。
 19願は救われたいと心から願い、諸善万行を実践する、廃悪修善をとことんやれば臨終に阿弥陀仏が菩薩を引き連れて迎えに行きましょう、化土へ往生させてあげましょうという願いです。
 真面目な講師部員も多いですが、ここに書けないことも、数十年の間には数多く見てきました。
 しかし講師部個人のことを書くつもりはありません。

 それより自分はどうか、19願の通り実行出来ているのか。  
 全くお粗末千万、阿弥陀仏からご覧になれば虚仮不実、雑毒の鼻持ちならぬ偽善者ではないか。 
 善どころか、三世の諸仏に見捨てられて当然の、十悪、五逆、謗法、闡提以外何も無い、無仏、無法ではないか。
 説法すれば評価が気になり、参詣者の増減に気持ちが動き、御法礼が気になり、今月やり繰り出来るか計算しだす。
 顕正すればその話し方を内心誇り、参詣目標を達成すれば出来てない講師を心で見下し、財施に頑張れば評価を期待し、会員さんの前では如何にも本会の指示に従い不足など無いように振る舞う。聴聞しない会員は自分の法施不足なのに仏縁の薄い人と嘆き、活動する会員は大事にし心を掛け、動かぬ会員を疎ましく思う。
 人が見ていないとお勤めしていても早く済まそうと早口になり、お仏花、お供物代が惜しい。後から食べようと自分の好きな物しかお供えしていない。
 お礼状が来るとその人の名前はしっかり覚え、そうでない人はなかなか覚えられない。それでいて自分がお礼状書くのが遅い。
 自分のミスを同僚に見られないか、上司に報告されないか、今度の講師部会合で前に出されて指摘されないだろうか。
 あー何をしているのだ俺は、人の評価ばかり気にして、取り繕って、感謝も無ければ、懴悔も無い。
「なぜ生きる」「人生の目的」は口先だけでないか。仏法を「どう生きる」の手段にしているではないか。一番心配しているのは後生でなく、「どう生きる」だけでないか。
 何が講師部だ、三界の大導師だ、人は騙せても阿弥陀仏は見聞知だ、騙せると思っているのか。講師部退部の心へと傾いていった。
   
○  高森先生は雑行雑修自力の心が廃らねば、18願の世界へは出れません。
 雑行雑修自力の心を知るには30-40年かかるだろうといわれた。
 私は大ショックを受けた。
 だから何十年、何千回聴聞を続けていても、後生の解決が全くつかないのか。宿善が薄いからだと自他共に言ってきたのだから、そうに違いない。先生は「私は真実を説き切っている。聞ききらないのは皆さんの責任です」と何度も言われた。自分が問題なのだ、高森先生、親鸞会の指示に間違いがあるはずがない。あーなんという恐ろしいことを思うのか、法謗罪だと退部してからも反省の日々が続きました。。

 この後、わたしの求道を根本から考えさせられる出来事が起きて来たのです。
 長くなりますので次回にお話します。

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