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私の白道・3(投稿1)

以後、投稿のメールの紹介は、タイトルを「投稿」にさせて頂きます。

          *          *          *

私の質疑応答を読んで頂き有難く思います。

今後「私の白道」と題して書かせて頂きます。

1回3月10日質疑応答74
2回3月16日質疑応答80
3回3月20日今回

・元親鸞会講師部

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○講師部の現状に失望し、自身の求道姿勢(講師部聖則4-常に求道姿勢を正し、会員の模範となります)にも自信を無くした私は、退部してからも、高森先生の説かれることだけは真実だ、こんな私でも救われる道は聞くしかないと思い、働きながら本部会館の高森先生の御法話、教学講義、アニメ解説に続けて参詣しました。

 そんなある日、私がよく知り、講師部の時お世話にもなった方(男性)が癌でもう聴聞に来られないことを知りました。

 80歳過ぎで、30年近く求められ、聴聞も県で一番位回数が多く、アメリカ、ブラジルだろうと高森先生の御法話には一座も欠かされたことが無く、支部の御法話、会合も全日程参加でアニメ頒布にも、実に真面目に回われました。

 財施額も常に県でも上位、高森先生との高額財施者の親睦会、会食会は常連でした。副支部長として生活の全てを親鸞会の活動にかけられ、本会からも、貴方は会員の模範だと、何度も表彰状を受けた方でした。


・2月に見舞いに自宅へ行くとベットに横になり、変わられた姿に驚きました。
 そして開口一番、「こんなになって聴聞に行けんようになったー、どうしょうー。宿善積めんようになったー。困ったーた弱ったー」でした。

 自分の病に気付いておられるなと直感しました。
 もう世間並みの見舞いの言葉なんか言っておれない。
「Tさん、本部で座っているだけが聴聞ではありません、なにを聞いたかです。何を聞いて来られましたか。こうなったら、これまで聞かせて頂いたことを思い出して下さい。私も聞かせて頂いた事を話に来ますから、このベットの上が聴聞会場ですよ」

 私はこの時、このTさんに数十年聞かせて頂いたことをお伝えしよう、亡くなった父と同じ年齢のTさんに何とか救われてもらいたいと思いました。

 それから本棚に積み上げてあった高森先生の「会報」「こんなことが知りたい」「法戦」など仕事以外の時間は読み続け、ここを話そうと思うところをコピーし準備しては月2回程行きました。

 何を話しても、Tさんも30年近く聴聞をしてきた方ですから私の話することは全部分かるのです。話するのも、Tさん体調からは1時間が限度でした。

 しかし「無常観をとりつめたら後生の一大事の驚きがたつだろうと、今死んだらどーするー、と思うけど、まだ死なん、まだまだとしか思わん」と頭を叩かれ、
「罪悪感をとりつめようと、自分の悪をいろいろ思うが、もー悪い奴やと思えん、こいつが」と腹を叩かれた。

「こんな者どうすりゃいいんですかー、教えて下さいー、助けて下さいー」と遂に男泣きに泣かれ、私の腕にすがりつかれた。

 私はこの時、自分の慢心に気付いた。よし俺が導いてみせようとは、何たる傲慢。Tさんは目前の後生に命がけに取り組んでいるのに、覚えた教学、読んだ要で何とかしようとは、自分こそ後生の一大事が全く分かっていないではないか。

 まだ教える立場で考えて、自分の問題にしていないではないか。お前はまだ講師様か、何という馬鹿者だ、俺は。

「阿弥陀様が分からーん、どう信じたらいいのか、どう思ったらいいのか。私みたいな者は助からんのか。あー私は宿善が浅いから助からんのや。

 高森先生、申し訳ありません。もっと宿善求めて頑張ればよかった、済みませんー」とまた号泣された。

 かって数十年前、谷本貞三さんも同じ癌で入院し苦しまれた時、浅倉講師が見舞いに行き、高森先生は何度も葉書を出されて阿弥陀仏の御心を伝えられ臨終間際に救い摂られた話は有名でビデオにもなっている。

 その葉書の文句も見せて話するが、読んでる肝心の私がその意味が分からない。
 その時の私は三願転入しか頭に無く、宿善求めて、19願、20願と信仰進んだ宿善厚い谷本さんだからこそ獲信されたのだろう。宿善浅く、読んでも意味が分からんと泣いておられるTさんには無理な言葉だったのかとしか思えず、言葉が無くなってしまった。

 私はとっさに両手を握って「念仏称えましょう」と言った。仏法を聞き始めて数十年、私は初めて人に念仏を勧めたのだ。

 Tさんは驚いたように「念仏称えて助かるですか、いいんですか」と聞いてきた。
 親鸞会で信前の念仏は助からん、本願寺は念仏称えて死んだら極楽、死んだら仏と教えを捻じ曲げていると、30数年聞かされてきたTさんは始め躊躇されたが、私はかまわず念仏を称え出した。

 3分ーー5分ーー念仏と共に何の涙か分からないが止まらない。一緒に泣きながら念仏を称えた。

 Tさんの姿は私の姿だ、決してTさんだけの姿ではない、親鸞会会員さんも皆平生業成の身に成らなければこうなるのだと深く心に刻んだ。

 病気の進行は早く、Tさんは自宅から病院へと移られ私も病院へ通ったが、行くのが辛かった。行く度落ちてゆく体力、10分間聞くのも脊髄へ移転した病魔に苦しみ話が中断する。

 こんな身になって諸善なんか勧めておれない。しかし念仏勧めるが心は依然として暗い。

 色々悩んで、仏願の生起本末に絞って話しすることにした。A3用紙にまとめ上げて話し始める。

・仏願ーー阿弥陀仏の本願
     どんな人をも
     必ず助ける
     絶対の幸福に

・生起ーー悪業煩悩で罪を造り、因果の道理で後生は一大事、地獄行き間違いない自分である。ここが目当てです。三世の諸仏が呆れて見捨てられた私です。

・本末ーーそれを救うと誓われたのが阿弥陀仏の本願であり、南無阿弥陀仏にはその力がある。この世で絶対の幸福の身になれる。

 しかしいくら話しても、南無阿弥陀仏が分からない。どこが功徳の大宝海なのか、どうしたら、いただけるか分からない。
 阿弥陀仏の本願はお伽話と思わないけれど、阿弥陀仏が身近に感じられない。お勤めが嫌だ、早く終わりたい根性しかない。
 十悪、五逆、謗法、闡提は確かにそうだ、否定できない私のことに違いない。
 では、こんな私は本当に救われるのか、現在、この世で地獄行きが、極楽行きになれるのか、そんな力がどうしてこの六字にあるというのか。信じられない、分からない。
 阿弥陀仏の本願に対する疑いが次々と出てくる。合点と疑いの二つの心で、Tさんどころか自分自身が問題なのだ。

・何とか分かりたい、ハッキリしたいと親鸞聖人のアニメ1部を見た。
 特に終わり部分の親鸞聖人が法然上人に会われ、聴聞の末、抑え切れない胸の内を告白なされるところを毎日3回も4回も、1週間程見続けた。

聖人「今はもう、聞く心もございません。ただ煩悩と疑い一杯で、阿弥陀仏の御声がきけません」
上人「うぬぼれるな、そなたの心は、阿弥陀仏の御声が聞ける殊勝な心か」
聖人「親鸞の心はただ暗い、それだけでございます。
暗さも分からぬ、真っ暗がりでございます。お助け下さい上人さま」
上人「親鸞よ、そなたには、まことを聞く耳はないのだ。それがそなたのまことの姿なのじゃ。一切の自力を捨てよ。全てのはからいを捨てよ。捨てようとする心も捨てよ」

 この後、聖人が獲信さなれている。

 自力の心、救われたい、助かりたい、安心したい、ハッキリしたいの心がどうして捨てられようか。

 この心あるから皆、聴聞、財施、顕正、その他に頑張っている。捨てよ捨てよと言われるが、ではどう捨てていいのか。
 トリモチみたいに決して離れない。この心ひとつで数十年求めて来たのに。叩いても、押してもびくともしない鉄扉にぶち当ってしまった。
 見るたび涙が出てしまい、1週間もすると辛くて見るのをやめてしまった。

・また同時に、親鸞会の今の求道で本当に救われるのか、と疑問が頭を持ち上げてきた。顕正の目的がずれている、会計報告しない以上、財施も何に使われているか怪しい。
 三願転入で救われる、なら19願の賢善精進の実行も外見ばかりで、本心叩けば出来ていないではないか。心口身共やっていますと自信もって言える人はあるのか。

 私は出来なかった。

 皆さんが尊敬されている講師部も19願の入り口にも入っていないと、高森先生がそう言われたそうだが間違いないだろう。誰か文句言えるのだろうか。
(最近信心決定していますという講師が何人もあると聞くけれど、この極難信の信前信後、どうなったのか詳しく説けるのだろうか)

・19願の諸善の次は念仏ですが、高森先生は「信仰が進むと念仏称えずにおれなくなる」と言われたことがありました。聞かれた方もあると思います。
 私の支部長はよく念仏称える講師だと言われている支部長はあるでしょうか。私が所属していた県の講師にそんな方は一人もいませんでした。
 高森布教局長も、念仏称えているのも数十年聞いたことも、見たこともありません。家で一人静かに称えておられるのでしょうか。私の認識不足なら失礼致しました。

 20願通らなければ18願の願海に転入は出来ない。しかし念仏の人は見かけない。

・これでは、この世で救うの本願あれど、三願転入の道、はるか遠い。
 高森先生が言われた「人生の目的でなく、本当は多生の目的です」
 とでも思わねば続かない。私の心にぴったりだ。しかし平生業成が親鸞聖人一生のみ教えです。
 弥陀の救いは一念往生と願成就文に願意を明らかになされ、「人身受け難し、仏法聞き難し、今生に度すべし」の釈尊の御教誡は無駄ごとになる。
 私達はこのまま聞いてゆば、宿善が厚くなり、ある日地震の如く後生の一大事に驚くと言われたが、それまで命があるか。
 なんとかなるの信心がぐらぐらと揺らぎ始めた。皆さんの信心はどうですか、大丈夫でしょうか。

○8月のお盆になり久々に実家へ帰った。
 80歳過ぎの母が、もう父の墓参りは今年が最後だろうから連れて行ってくれと気弱なことを言った。早いもので亡くなって10年が過ぎ、車で村の墓場へ行き父の墓前で阿弥陀経をあげて母と父を偲んだ。

 家に帰ると母が「こうしてじっくりと話が出来る機会はめったにないから言っておきたいことがあるので聞いてくれ」といつもになく静かに話し始めた。

 自分の生まれた時からの話が始まり、これまで断片的に話していたことを、正確に時間的順序で出来事、心情を2時間余り語ってくれた。

 家が貧乏子沢山で奉公に行ったこと、満州開拓団に夢を托し、結婚し男の子供2人もいたが、夫は急性肺炎で満州で急死、子供はソ連参戦のどさくさの惨事で死なせ、この世の地獄を味わった。

 戦地で助けてくれた今の父と命かながら日本へ帰国して私達、兄弟が生まれ苦労したけどなんとか今日に至った。亡くした子供を思い、その分私達に注いでくれた愛情の数々を思い出すと私はこみ上げる涙を堪え切れなかった。

 特に私は小さいとき病弱で、兄弟の中でも親に心配ばかりかけてきた。にもかかわらず、父が亡くなり、遺産分けが思ったより早くなったとき悲しみはしばらくで、これで助かると心で喜んだではないか。

 今も私の身の幸一つを思っていてくれる母に日頃何を思っているのか。
 親を利用する心しかないくせに、自分の子供の恩知らずの態度に、己忘れて不満一の私ではないか。
 ああ私程、恐ろしい者はない、浅ましい子供は無い、親は無い。恩知らずの鬼は私だ。、

 悪かったー、俺程悪い者は無い、堪忍してくれー、と大声を挙げて膝に泣き崩れた。恥ずかしいも何も無かった。泣くしかなかった。

 母は「分かった、分かった」と背中を撫でてくれた。
 私が泣き止むと母は話を続けた。

「お前が高森さんと縁があって仏法聞くようになり、講師にもなって苦労しているのを見て、早く信心決定してくれ、まだかなまだかなとずうーと思ってきた。生活も大変やし子供もいるのにどうしてやってゆくのかとそれも本当に心配だった。講師やめて働いて生活心配ないようになったと聞いて安心したよ。だけど後生のことは大変だ、このまま高森さんの話聞いていって信心決定できると思っているのか」と聞いてきた。

 本当にドキリとした。見抜かれていると思った。どうしてそう思うのか聞くと驚くことを言い出した。

・「満州から帰ってしばらくして、、高森さんが村の寺へ説教に来られ、聞く気なかったけど余り近所の人に勧められ、断ってばかりいては悪いと思って参りにいった。

 その時「念仏称えておっても助からん、信心頂かねばあかん」と言われた。この人変わったこと言う人やなと思った。まだ学生服の金ボタンの頃で、誘った人に訳を聞いても要領が悪い。それで夜の説教が終わっていたけど数人で寺へ戻って尋ねたら、奥から出て来られて囲炉裏かこんで夜中3時頃まで聞いた。

 それから聞き出した。婆ちゃん(祖母)も聞けるとき聞かなあかんと言ったので聞き回った。そりゃ厳しい話やった。しかし満州で地獄見て来たから、罪悪、無常が本当で怖いけど聞いた。数年後、聞いて安心出来た。

 お前みたいな者がと言われるだろうから、ずーと言わずにきたけど、いつ、何時死のうとか私の後生は心配してくれるな。

 それより、落慶式に行ってあの広い所(2000畳)と前のテレビの大きいのには驚いたが、話を聞いててこれではなーと思った。

 歳とられて声も迫力も無くなったのは仕方ないが、昔の話はもっと腹に応えた。今は次から次からテレビに言葉が出てきて、若い人(アシスタント)に説明させて、黒板のあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、どうしてじっくりと座って、話されんのやろ。声小さくてもマイクあるから良く聞こえる。

 落ち着いて、じっくりと話して欲しいな。次々と色んな言葉出されても多くて覚えてもおれん。昔と違う。

 お前、あんな中で信心決定しようと思ったら余程、真剣に聞かないと聞けんと思うが、どう思って聞いている。何十年も何、聞いて来た。一生なんかすぐ終わるぞ。
お前、高森先生だけに聞いてるがそれでいいのか。一度、離れて静かに自分の心を見つめた方がいいのでないか」

 がーんと来た。私の数十年の聴聞姿勢を破壊されてしまった。

 この世ばかりか、後生まで心配してくれる親であったのか。
 それなのに、余り仏法のこと分かっていないと思い、教えてやらねばと自惚れていた。

 父の本棚には昭12年に出版された為蔵館の「本願成就文説教」があった。当時、有名だったのか高森先生が説法で話された内容も多く書かれている。父も私より深く聞いていたのか。

 私は如何に愚かな息子か、それと同時に何と有難い両親の元に生まれたのかと思いながら、父の伝言のようなその本を持ち帰った。


○私はこれまでほとんど高森先生、親鸞会発行の出版物しか読んだことがなかった。皆さんもそんな人、多いと思います。

 何しろ高森先生だけが、唯一の善知識だから、他は読む必要は無い、間違っている。読むこと自体高森先生をおろそかにしている謗法罪だという意識しかありませんでした。

 禁止を破った清森さんはその為、何日も講師部会合の時、前に出され、全講師部から指摘の嵐を受けた。
「君は学院再研修だな」と冷たく高森布教局長から断を下され支部長解任の処罰を受けてしまった。誰も恐ろしくて他の本は読めなかった、話を聞けなかった。今もそうですから、ここをこっそり見ている講師部員は隠れてでしょう。


・父の残してくれた、「本願成就文説教」を読んで私の頭は「目から鱗」くらいではありませんでした。

 高森先生だけが唯お一人の善知識の思いが崩れ出した。
 高森先生以外にも、阿弥陀仏の本願を分かり易く伝えている方があった。
 私にはソ連崩壊よりすごい、信じられないことが起こった。

 見るなといわれていた、インターネットにも接続し「親鸞会」を検索した。
 有るは有るは、紹介や批判の項目が10もあって読み始めた。
 中に、「なぜ私は親鸞会をやめたのか」があり、開いて見て驚いた。

「高森顕徹氏の著書のルーツ」を読んで、大沼法竜氏と華光会創始者の伊藤康善氏の著者を盗作していたことが分かった。

 高森先生は「糸一筋でも他人の物を盗ってはいけない。私は子供の頃、母に拾った柿を見せて半殺しにされる程酷い目にあった」と講師部の前で盗むことの悪を教えられた。

 だから問題なのです。

 ここまで読まれた方で、高森先生を信じておられる方も多いと思います。私もその心情はよく分かるのです。しかし事実を誤魔化さず見つめてゆく勇気が今必要です。検索すれば分かります。

 私は大沼氏の福岡県の寺に電話で本を早速注文しました。30巻中今は16巻しか無いと言われ全部下さいと言いました。

 華光会へも電話で注文し「仏敵」「安心調べ」「われらの求道時代」「念仏のお叫び」等を求めました。

 読めば読むほど、大変なことが分かって来たのです。

 長くなりますので、次回に致します。


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