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私の白道・4(投稿5)

私の白道・4(投稿5) 2008-03-31 21:58:04 



  ( 私の白道)

   1回 3月10日質疑応答74
   2回 3月16日質疑応答80
   3回 3月20日投稿 1
   4回 3月29日投稿 5       元 親鸞会講師部


      皆さんの中に私の発言を憎々しく読んでおられる方もあると
      思います。
      長い間、高森先生、親鸞会にご恩を受けながら、しかも信を
      獲たように言いながら、信じられない言動だ、偉そうに言うなと。  
      歎異鈔6章にも「自然の理にあいかなわば、仏恩をも知り、     
      また師の恩をも知るべきなり」とあるのを、よもや知らぬはず    
      はなかろうにと。      
      心情は痛い程よく分かります。
      私も何度やめておこうかと思いました。
      名前を隠していても、話が進めば、具体的になれば、いずれ     
      分かり、煩わしいことも予想され、悩みました。
      しかし、30年聞いても分からんと泣かれたTさんは次の年の
      1月に亡くなられました。後で知って自宅へ伺いました。
      どんな思いで亡くなられたのだろうかと思うと、真実伝える    
      ことの出来なかった自分を謝らずにおれませんでした。      
      また獲信後、どうしてもお伝えせねば、と尋ねた一人暮らしの    
      Mさん(80歳過ぎの女性会員)は、すでに5ケ月前に急に亡く   
      なっておられました。遅かったーと泣きました。
      20年以上求められ、本部、地元御法話と週に3回必ずお参り   
      し、それでも「後生が心配だ、でも分からん、難しい、私には
      無理ですかね」と何時も言っておられたのが耳を離れません。   
      ああ折角、仏縁に恵まれたのに、南无阿弥陀仏のみ心を知ら    
      ずに去っていかれるのを、阿弥陀仏は身を切る思いで悲しん    
      でおられる。
      十劫の昔から、どうしたら聞いてくれるか、こうもしたら分か
      ってくれるかと、あの手、この手のご方便なされて、待って、    
      待って下されているのに、その御心が伝わらずにーーー      
      泣いて死に行く人以上に泣いておられる。 
      黙っておれない、これではご縁ある方も今のままでは同じことになる。
    
      私のご恩は、如来大悲のご恩が、何より先です。           
      すること、言うことが高森先生の批判になろうとも、私は     
      それで阿弥陀仏の御心を知って頂く方が現れるなら、甘んじて    
      受けて行こうと思います。
  
      空ごと、真実ないこの世に、どんなことがあっても、この
      弥陀だけは捨てないぞ、あてにせよ、まかせよと抱き摂っ
      て下さった、未来永遠のあてたよりになって下さった嬉しさ、
      このご恩は、人の非難位で曲げられません。
      分からぬ人には、分からないでしょう。            
      高森先生なら、そういうものだと、分かられるでしょう。      
      だから本気で書けるのです。

      質疑応答88も読ませて頂きました。有難く思います。
      それでは、大沼氏、伊藤氏の著書を読んで、何が分かっ
      たのか、お話致します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   
     
      (大沼法竜氏)1895年生(明治28年)北九州の在家
      に生まれる。お母さんが熱心な真宗門徒で大きな影響を受
      ける。  
      大正10年3月仏教大学本科卒業。
      昭和51年2月死亡(80歳)    
    
      宗教法人「親鸞会館」を設立、代表役員として活動。       
      著書に「おやごころ」「本派本願寺の危機 どちらが       
      異安心か」「法界」「教訓」「随想録」「明暗」他多し

    ・ 大沼氏は獲信した、と自ら告白し、本願寺は法の有難さばかりを   
      説いて門徒を喜ばせているが、間違っている、と本願寺を相手   
      に論争した本願寺派僧侶です。その為に破門されました。      
      大沼氏は、三願転入してこそ救われる、またその法を聞く
      私とはどんなものか。逆謗の屍であり、その本願を疑う
      怖ろしい疑情があるではないか。 
      なぜ、弥陀に救い摂られる信前信後、一念の体験を本願寺は
      明らかに説かないのか。  
      皆、疑いも知らず、素直なものと自惚れている、無帰命安心の
      人々ばかりだ、と全国を説いて回り、著書を多く出版し、当時
      有名な人でした。
      信者は全国に居ました。高齢な人に時々、会いました。       
       
      「本派本願寺の危機 どちらが異安心か」は痛烈に批判して    
      出した本です。「どちらがウソか」の題名によく似ています。

  ○  盗作の事実

    ・ 福岡県の敬行寺に電話して、絶版以外の残ってい16冊全部
      を取り寄せて、読み始めた。
      付箋紙を用意して、高森先生より聞いた話、著書で読んだとこ   
      ろがあれば貼っていくと、すぐさま100枚の付箋紙がなくなり、   
      また用意した。  
      読んで見た方なら、分かるでしょう。それほど多く驚いた。     
      どんなところか「なぜ私は親鸞会をやめたのか」の「高森     
      顕徹氏の著書のルーツ」にも出ているので、参考に見て下さい。   
      ここには、多くて書きようがありません。

      「会報」「こんなことが知りたい」「光に向って」
      「アニメの台詞」「お葉書のお歌」「教学問題」等など

      盗作しないものはない、と言っていいほど、よくこうまで
      熱心に盗作作業をされたものです。
      高森先生の手元には、大沼氏の全集全巻が揃っていて、付箋
      紙がびっしりと貼られ、赤線で真っ赤だ思います。

  ・   一例に皆さん、まさかと思われるでしょうが、黒板に必ず書か    
      れる、縦と横線の求道線も、大沼氏のオリジナルで、写真が載っ    
      ています。 
  ・   「光に向いて進む者は栄え、闇に向いて走る者は亡ぶ」      
      「法界」382Pに書いてあります。 
  ・   「美人も笑顔忘れりゃ 五割り引き」のお歌も、「明暗       
      2800首」の中の一首で、美人をべっぴんに変えただけで    
      す。そのままの歌も多いです。2800首もあれば、いくらでも   
      発表出来ます。打ち出のコズチがあるのです。
      

      皆さんが講師、大講師の教学試験の時、苦労して覚えた
     「会報」や、高森先生のご教導だと感激して読んだ著書、
     「お身体、大変な中を私達の為に作って下さったお歌ですよ、     
      もっとアニメを出しましょう」と言われ、申し訳ないと   
      頭下げて頂いたお葉書も、ネタは大沼氏からの盗作部分が
      多くあったのです。


   ○   なぜ盗作するのか

   ・  読んで感動し、勝れた文章であり、自分にはとても書けな
      い。素晴らしい先生だ、信心だ、人徳だと、認めているから    
      です。  
   ・  しかし、誰の文章か発表しなければ、皆さんは自分の文章と     
      思われ、尊敬される。
      非常識とは知りながら、名誉欲に負けるのです。   
   ・  盗作した以外の文章を読まれると、都合が悪い個所がある    
      ので、盗作の事実を隠す。読ませたくない。
   ・  著者、著書を紹介すると読まれて、高森先生以外にも尊い
      先生がおられることが分かり、噂は広がり、自分だけが
      唯一人の善知識と思われているウソがばれてしまう。
      ショックを受けた会員さんの中で、そちらへ行く人(退会者)
      が増えるからではないでしょうか。


  ○   なぜ盗作が悪いのか。
      
      前回お話しましたが、講師部に人のものを盗ってはいけない、   
      悪だと教えられたからです。人にそう言っておりながら自分    
      が盗めば、誰もその人を信用しなくなります。
      説かれる法にも傷がつくのです。 
      人間は信用が大事、徳が大事、信用の無い人の話は誰も聞きた   
      いと思わないだろう、と自ら言われているからです。

      「招待されて行った家の控室に通されたら、絶対にそこの
       物を触るな、動かすな、絶対だ。後でその家の人がおか
       しいな、触ったなと分かると信用を落とすのだ」と具体的
       に厳しく、信用をされる人間になれ。10年20年とかか
       るが、崩れるのはすぐだ、気を抜かず努力せよ、と講師部    
       は教えられた。忘れた人はいないでしょう。

      仏教のいい話だから、誰のだろうと盗作でなく紹介されたの
      だ、悪いことでは無い、高森先生のお陰で私はよく分かって
      よかったと思う人もあると思います。 
      しかし、親鸞聖人はお聖教を書かれる時、必ず根拠を出して    
      おられます。どなたの書かれた何というお聖教かです。      
      教行信証を少しでも拝読すれば分かることですよ。
      尊いお言葉は、その人の命がけの求道より体得された叫びで
      あり、命なのです。
      どれほど感謝しても足りないご恩を感じられたからです。
      仏法者として、当然ではありませんか。
      黙って自分の文章の如く書けますか。。      

      学問、研究、文学、絵画、音楽など、世間でも盗作者は大変な
      非難を浴びて社会的信用を無くするのは、皆さんご存知ですね。  
 
      そんな常識すら、分かられないのでしょうか。
      恩を知れ、といつも厳しく教えておられるのに、悲しくなりまし
      た。

   ○  ごまかし体質

    ・ 退部する少し前に、講師部会合で、お葉書の言葉(歌)を覚
      えているか、書きテストがあった。 
      40首位の空白部分を書くのだが、覚えていない者を高森
      布教局長が「講師部員がお歌を覚えていなくて、それでも      
      講師部か。ご苦労して作って下さったのに御心がそんな
      ことでお伝え出来るのか」と立たされて、点数の悪い者から
      順に厳しい指摘が始まった。
      ところがしばらく日がたち、「パソコンに残っているお歌を
      全部、削除しろ、ひとつでも残っていれば厳罰だ」と指示が
      来た。なぜか、など誰も質問しない。
      高森先生の指示に決まっており、理由を聞く事自体、問題に
      される。
      講師部聖則「講師部は会長先生のご指示に無条件に従い、信心   
      獲得を本と致します」に反する言動だからです。
      盗作がどこかから、ばれて証拠隠滅だったことは想像できる。  
      自分の問題はことごとく、このように隠されてゆく体質である。

    

   ○  読んで分かった問題点                    

   1  私は大沼氏の著書を読んで、すごい学問と文才の先生だなと
      思いました。
      湧き出る泉の如く、言葉の洪水というという感じで圧倒されます。 
      親鸞聖人のお言葉以外にも、「教訓」(光に向って、に多く盗作)  
     「明暗」(お歌2800首)と才能は広く、高森先生はことごと   
      く大沼氏の真似をされたことが分かりました。       
      著作権などの法律的問題はさて置き、ここまで真似る執念     
      に感心しました。高森先生は真似上手と分かりました。

   2  私は高森先生より聞かせて頂き、40年を過ぎました。      
      その間、高森先生の説かれることが変化していることに      
      気付きました。    
      講師部暦の長い人は分かりますか。会員暦の長い方は分かり    
      ますか。ゆっくりと時間をかけて変化しているとわからない
      ものです。
   
      大沼氏と高森先生の著書とを比べて読み込んいく内に、これは大変だ
      と思うことに気付きました。                
      高森先生の「会報」「顕正」その他の著書にも三願転入という   
      言葉で強調して、書かれたところはありません。
      三重廃立で教えらています。ここばかり聴聞して来ました。    
  
   ○  三重廃立と三願転入


  ・   高森先生「会報 第5集」44P
     「覚如上人は聖人の意を「改邪鈔」に「真宗の門に於ては
      幾度も廃立を先とせり」と申され、蓮如上人は「もろもろ
      の雑行雑修自力の心をふりすてて後生助け給えと弥陀たの
      め」と御教示になさったのである。---その廃立すべき
      ものに三種あるから、三重廃立といい、これをしなければ
      絶対に助かることがないから、親鸞聖人の「教行信証」には
      厳しく、それが説かれている」

  ・   私の30年以上前の高森先生の教学講義、講義録
     (真宗学4号12問)に以下のように記している。        
 
      問い 善知識の使命を示せ。またその聖教上の根拠も       
         示せ。

      答え 善知識の能というは、一心一向に弥陀に帰命し
         たてまつるべしと人を勧むべきばかりなり
         (御文章 2帖目11通)


      高森先生「三重廃立しなかったら、一心一向に弥陀に帰命す
      ることは出来ない。聖人の教行信証も一口で言えば三重廃
      立になる。善知識の任務は、三重廃立以外にない。三重廃立
      さえ徹底してゆくと必ず信を獲る」と書いてある。


   ・  しかし、大沼氏の著書はいたるところに「三願転入」して     
      こそ救われると強調して書かれている。
     
      大沼氏「広大難思の大慶喜」241P
   
     この三願転入をせず、第十八願だけでよいと言う人は、二尊や
     聖人より偉い人なのです。
     阿弥陀さまはいらない願を建てられたか、釈尊は不要な説法を
     されたか、聖人自らの体験が三願転入であるが、他の道を通っ
     て聖人と同じ報土に往生ができるでしょうか。       
   

   ・ しかし、大沼氏の説くところは高森先生と絶対合わぬところ
     があったのです。  
     (化土往生です)

      大沼氏「法界」152P-154P
    
     「計らいのない人は一人もいない筈だ。計らい尽きて親に計らわ   
      れていた事に驚いて捨自帰他した一念の徹底する迄は、皆信前    
      をうろついているのだ。その間に死ねば漏れなく化土往生だ。
      しかし化土に往生する人は疑心の善人であって吾々は悪人だ
      から化土に往生の出来る筈がないと言う人が有るが、化土へ
      行かれない位の者が至極の報土往生の出来る筈がない。ーー    
      平生業成、現生不退、明信仏智の体験のない人は如来広大の    
      恩を迷失しているのだ。
      雑行、雑修、自力、疑心の桁を離れ切らないのだ。      
      離れ切らなければ化土の結果は免れないのだ。」

     「報土の信者おおからず 化土の行者かずおほし
      自力の菩提かなはねば 久遠劫より流転せり」(正像末和讃)   
           
      大沼氏「方便より真実へ  浄土真宗」411P
      (みな化土往生ですよ)
      「自力の執着の除かれない間に死んだ人が化土往生し、絶対他力  
       になった人が報土往生をさせていただくのですから、化土往生  
       は階段ですから、易いのです。」

   ・ この説に対して高森先生の反論はすざましい。

       高森先生「会報 第5集」59-61P
  
       「一体、どこに十九願相応の修行している道俗が真宗に     
       見当たるのか。
       どこに二十願相応の念仏行をやっているものがいようか。
       真宗の道俗はさも易く「あれはまだ十九願だ」「あれは
       二十願の人だ」と言っているが、願の上からだけなら
       言えるかも知れぬが、それに相当した行がともなわない
       人達ばかりだから本当の十九願の行者、二十願の行者は
       真宗の道俗には、いないといってよいのだ」     

       「ここで特に注意しておかねばならぬことは、真宗の
       道俗の中に、未だ大信海に入らずとも求めている者が死
       ねば、みんな間違いなく化土往生出来ると主張し、同行の
       求道心をさまたげている人がいるということである。      
       これは許すことの出来ない正法の怨敵である。         
       三機のところでも述べたように 十九願の邪定聚の機なら    
       ば化土でも行けるであろうが、真宗の道俗の中に、その     
       ような者は見当たらないから化土往生どころか必堕無間     
       こそ間違いのない後生である。若し、信前の者も、求め     
       てさえいれば化土往生が出来、やがて報土往生、弥陀同体     
       に成仏出来るのなら、後生の一大事は立たない。         
       後生の一大事、生死の一大事の立たないところに仏法、     
       また成立しないのである。       
       若し、信前の者が、みんな化土往生出来るのなら、
       親鸞聖人は、なぜ「たとえ、大千世界に、みてらん火をも
       すぎゆきて仏の御名を聞け」とおしゃったか。         
       蓮如上人も「御文章」の各処に「この信、決定されずんば    
       極楽には往生せずして化土へ参るべきなり」といわれずに    
      「無間地獄に堕在すべし」と教えられている。」

       (徹底して化土往生は出来ないと教えておられたのである。   
        覚えておいて下さい。
        これは大沼氏への批判ではないでしょうか。)
        しかし、大沼氏はこう反論した)
  
   ・     大沼氏 「八万の法蔵は聞の一字に摂まる」131P

       「化土往生ができる」なんて言えば「われわれのような者
       は自力の修行が出来ないから、化土に行かれるものか。
       化土へ行くのは、自力の修行をした人が行くのだ」と言う
       人がいるだろうが、あなたは自力が出来るか、出来ぬかや
       ってみたことがありますか。ーーー       
       まだあなたは、19願の入り口ですよ」

       (やってもいない者がいうな。入り口とは講師部にも言われ   
        た言葉の元がここにあったようです)



   ・     大沼氏 「昭和の歎異鈔」322P
   
       「たとえば買い物の荷物を子供が持つと言ったとき、持て
       ないこと承知の上で親が荷物の下に手をすけ、子供は真っ
       赤な顔をしてーーー」

        (自力一杯、善をやった者が出来ないと知らされ、次の
         20願へ行くのだ。何度も聞いた、この譬え話も皆
         大沼氏のここから出ています。とにかく盗作が多い)


    ・  大沼氏の本を読んでいて思い出したことがある。
       先輩の親鸞会元講師に岐阜県の寺の出身者で龍谷大学卒業    
       の佐藤講師がおられた。(退部後、交通事故で亡くな
       られたと聞いた)      
       その佐藤講師から忘れられない話を30数年前に聞いた。    
      「僕は龍大へ行って親鸞聖人の教えを学んだけれど、今の     
       本願寺では無帰命安心で駄目だと思ったよ。          
       それで、本願寺が駄目なら、その本願寺に破門された人     
       なら本当の方かもしれないと思って、当時本願寺と喧嘩     
       していた大沼さんのところへ聞きに行った。    
       大変な学者でもあり、話も真剣だったから聞いた。       
       しかし、三願転入の話になり、真剣に求めている人は、      
       信前の19願、20願の人だから信心決定していなくても    
       皆、化土往生だといわれて驚いた。    
       これでは、極楽は無理でも化土往生なら有難いと座ってしまい、  
       求めようとする気にならない人も多くなる。          
       聞いている人には、獲信してなくても後生の一大事がない    
       ことになる。これではあかんと思った。     
       もうお一人、本願寺を非難している人が高森先生だった。    
       本(会報)にも化土往生を言うものは正法の怨敵とあった    
       ので高森先生より聞かせて頂くことにした」
       ここまでは、随行文を聞いた方なら覚えておられるでしょう。
       そして話を続けて   
       「これは内緒だよ、誰にも言わんといてほしい。       
       まさかと思うけど、高森先生の生きておられる時には、
       ありえんと思うけど、三願転入を言い出す者が現れて
       化土往生出来ると言う者が出て来ないとも限らん。        
       お聖教上は、化土往生は説かれているからね。          
       実は高森先生の話や、書かれたものに大沼さんの本から     
       のものが多くて気になるんや。気になる。ここだけの話やよ」  
       えーと驚いた。具体的にここが盗作とは聞かなかったが、    
       当時はカチン、カチンに高森先生を信じていたから、絶対    
       そんな心配はない、三重廃立しか話されていないからと     
       思っていた。

  ○    三願転入の説法始まる

   ・   しかし平成5年の「親鸞会結成35周年大会」で遂に、     
       三願転入の説法が開始されたのである。驚いた人は       
       どれだけあったでしょうか。

       「親鸞聖人の教行信証は三願転入が説かれている。
        我々に19願、20願いらぬ、18願だけでいいと
        公然という学者もいるが、皆 三願転入を根基として
        書かれている。御和讃もそうだ。
        十方衆生が選択の願海(18願)に救われるのは、19、
        20願通ってであり、通らねばアリ一匹救われぬ」
        (平成18年4月30日 教学講義にもそう言われた) 

     
    ・ 佐藤講師の心配が的中してゆくのだろうか。     

   ○  「会報」の廃刊はなぜ


       「会報」は平成9年「私の道」として出版されると顕正     
        新聞に発表されましたが、未だ出版されません。        
        また、「現代仏教界の最高峰に位置する著書」と言わ
        れた「会報」は廃刊になってしまいました。
       
        大沼氏、華光会の伊藤氏の著書の盗作がインター
        ネットに「どちらが先か」と問題になり、批判を浴びて
        廃刊になったのが真相だと言われていますが、例の如く
        高森先生は理由説明責任を放棄されたままです。       
        もちろん講師部は誰も聞けません、知りません。
        しかし親鸞聖人の重要な教えが書かれた「会報」を捨てる
        人はないでしょう。私も今も持っています。
   
    ・  教学問題 真宗学4号 問い49

       今は教学聖典ですが、以前は教学問題と言われました。

     (問い) 真宗は0点か100点かの二通りしかないことを     
          教えられた和讃を一首かけ      
     (答)  専修の人をほむるには  千無一失とおしえたり
          雑修の人をきらうには  万不一生とのべたもう
                     (高僧和讃) 

       この問題は教学聖典から無くなっています。
       削ってもいい内容でしょうか。  
       0点か100点 それ以外の人は無いという話でしたが     
       この問題は何か都合が悪くなったのでしょうか。
       化土へ行く人は0点とは言えないからでないでしょうか。

    ・  まだ「信前の会員でも、私の法話を聞き、参詣、財施、顕正   
       の諸善、活動に頑張っている人は皆、化土往生です」
       と正式に言われません。
       しかし25年前、高速道路を逆走行してトラックと正面衝突し  
       即死した、細川、松田両講師の死に対して高森先生は      
       「私は二人の後生は心配していない。臨終に観音菩薩の
       説法にあったと思う」と言われた。
       細川講師は過労のあまり、福井県のパーキングで仮眠し、寝
       ぼけて、来た道を戻って逆走行したのだ。
       松田講師は助手席で寝ていて即死した。こんな状態で観音
       菩薩の説法にあえるのか、当時おかしいと思ったが、親しい
       友だから、そうであって欲しいという感情が入り、何となく
       納得してしまった。本当ですか、と高森先生に聞く講師はいな
       かった。
       先生がそう言われるのだから、と思ったもです。       
       善知識高森先生に絶対間違いはないのですから。        
       私らに分かるはずがないのですから、と思ってしまった。


     ・ 昨年の香港御法話でも、真剣に求めている人は観音菩薩の    
       説法にあえると言われたとか。
       感動した会員さんが、手紙に書いて来た。 
       根拠がどこだろうか、そんなことどうでもいい、高森先生
       が、そう言われるのだから、それでいい。

     ・ 20年や30年で獲られる信心なら「億劫にも獲難し」    
       と言われるはずがない  (これが獲信か、7P)    
     ・ 雑行、雑修、自力の心を知るには30年40年かかるだろう。  
                 (教学講義)
     ・ 信心獲得は100年や200年求めて獲られるような、
       ちっぽけなものでなく、多生永劫、求めてようやく獲られ
       るもの、ということが明らかです。ーーー
       我々も魂のリハビリをしているようなもので、信心獲得ま
       でには肉体のリハビリどころでない、多生永劫という長い
       リハビリの時間を要するのだ、と教えて頂きました    
          (昨年来た友人の手紙・会員暦30年以上)
     
     
   ○   親鸞会はどこへ行くのか  

       平生業成 現生不退 一念往生のみ教えは会員さんの心に
       本当にあるのでしょうか。
       看板だけか、人に入会をすすめる文句だけになったのでしょうか。


     ・ 阿弥陀仏はなぜ一念で救うという本願を建立されたのか。

       「如来の大悲、短命の根機を本としたまえり、若し多念を
        もって本願とせば、命一刹那につづまる無常迅速の機、
        いかでか本願に乗ずべきや。
        されば真宗の肝要、一念往生をもって渕源とす」
         (口伝鈔)
      
       「聞思して遅慮することなかれ」(親鸞聖人)」

       「明日も知らぬ命にて候に、何事を申すも命終わり候わば
        徒事にてあるべく候。
        命のうちに不審もとくとく晴れられ候わでは、定めて
        後悔のみにて候わんずるぞ。御心得あるべく候」
                      (蓮如上人) 
     
       阿弥陀仏の御心を伝えられた真の知識のお言葉を、今こそ
       深く思うときではないでしょうか。          

    ・  宗教法人「親鸞会館」も館だけの違いですね。 

    ・  高森先生は「私は親鸞学徒です」と言われますが
       これでは「大沼学徒」と言われても仕方がないのでは
       ないでしょうか。    

    ・  高森先生の後、親鸞会はどうなるのか、誰の話
       を聴聞すればいいのか、高森布教局長では無理だろう、
       という話をよく聞きました。       
                   


   ○   これからの親鸞会を考えるだけでも大変なことでしたが、
       華光会の伊藤氏の著書を読んで、それ以上の衝撃が走りました。 
       次回で書かせて頂きます。

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