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親鸞会教義の相対化・22(投稿4)

サンスクリットから言えることは、

本願文・・極楽浄土への往生=所謂「体失往生」
本願成就文・・現世での不退転=所謂「不体失往生」=信心決定

であるということであって、親鸞聖人の仰っていることは正しいと言えますが、チューリップ企画の主張は、経文を湾曲した解釈であると思います。

ぐちゃぐちゃ何を言っても、『無量寿経』に書いてないことは、書いてないことですから、チューリップ企画の山田さんの主張は、一切意味がないと思います(苦笑)。


漢訳は言語の構造上、どうしても複数の解釈が出てくる場合がありますが、サンスクリットの場合、名詞・動詞・格関係が明記されていますので、読みはかなり精密に確定できます。

漢訳に基づいて構築された教義上の問題に、安易にサンスクリットの読みを適応するのもどうかと思いますが、漢訳から派生した強引で恣意的な読みの誤りを指摘するのには、サンスクリットを挙げるというのは、大変有効なのではと思います。



自分の中にあらかじめ構築している思想に基づいて、恣意的に文献を読む「思想先行型文献学」は、文献学を裝った疑似文献学であって、そのような姿勢で文献を読んでも、決して文献を読んだことにはならず、結局は自分の思想哲学を構築しただけにすぎない!!

学生時代から、私が師匠にたたき込まれた文献学の方法論です。
バリバリの文献学者の師匠が、法然上人門下なのは、法然上人が、今日でも通容する文献学の方法論に基づいて、絶対に「思想先行型」にならずに、経典を読んでいるからだと思います。

自分が気になる問題点を意識しつつ、絶対に結論を先に出さないでテキストを読んでいかれたのが、法然上人や親鸞聖人の姿勢だったのではないかと思います。

親鸞聖人の教えを伝えるのであれば、やはり親鸞聖人がされたように、凡夫の身である己の恣意的な解釈やはからいを捨てて、素直に経典や書物を読んでいくべきだと思います。

経典や法然上人や親鸞聖人の言葉を挙げると、それがそのまま会に対する教義上の批判になる団体は、やっぱり問題があるのではないかと思います。



少しずつ、『会報』を読ませて頂いております。
一部に伊藤先生のパクリがあることを差し引いても、とても素晴らしい本であると思います。

清森さんが仰るように、素直にパクリを認めて、引用出展を明記して、堂々と出したらいいんだと思います。

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