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私の白道・5

(私の白道)

1回 3月10日質疑応答74
2回 3月16日質疑応答80
3回 3月20日投稿1
4回 3月29日投稿5
5回 4月 5日投稿              元親鸞会講師


○私と華光会との出会い

 インターネットで親鸞会を検索し、「なぜ私は親鸞会をやめたのか」の中で「高森顕徹氏の著書のルーツ」で盗作を知った私は、大沼氏と華光会伊藤氏のことを知り、電話で著書を取り寄せ真偽を調べました。本当だった。
 前回お知らせしたように、盗作は非常識行為に留まらず、当然高森先生の説法内容に大きく影響しており、問題の根の深さに驚きました。

 今回は華光会・伊藤氏との関係、問題点をお伝えします。
 講師部も知らされていない、勿論会員さんにも隠されてきた真実が見えてきました。


(伊藤康善氏)

1897年(明治30年)奈良県の寺院に生まれる。
昭和44年死亡(67歳)
仏教大学(現龍谷大学)卒業
浄土真宗興正寺派学頭
浄土真宗華光会創始者(昭和33年)
著書に「仏敵」「安心調べ」「我らの求道時代」「善き知識を求めて」「化生の世界」「死を凝視して」他、多数ある。
(これらから盗作されていた)

・「仏敵」は伊藤氏自身の獲信体験を書かれた著書で、読む人をして阿弥陀仏の本願の尊さ、不思議さを実感させられる書である。読まれることをお勧めします。(春秋社より出版)


(増井悟朗氏)

1925年(大正14年)大阪市に在家に生まれる。
龍谷大学研究科卒業・浄土真宗本願寺派布教使、華光会現代表者。現在も健在で布教に全国へ行かれる。
著書に「念仏の雄叫び」「親指のふし」「廻心の体験」「後生の一大事」「宗教とカウンセリング」その他

・「御法話テープ」も多く有り、法話が聴聞出来ます。



○高森先生の求道の原点

・高森先生は1929年(昭和4年)富山県の浄土真宗本願寺派の末寺の次男として生まれる。
 16歳の時、海軍航空隊予科練に入隊。敗戦で除隊
 龍谷大学入学。
 17歳(数え歳18歳)で信心決定、在学中から布教活動をする。
 浄土真宗親鸞会結成、会長就任(昭和33年)29歳


 皆さんが知っておられるのは、ほとんどは親鸞会の歴史「法輪の響き」で描かれた上記の高森先生だと思います。
 しかし、どのようにして獲信されたのか、教えを受けた善知識はないと言われ、最近は特に自分の体験を話しされません。
 個人的な獲信は話するな、聞かぬ方がいいという指導になっています。
 親鸞聖人のお言葉には摩訶不思議な力があるから、お言葉だけを伝えればいいのだと言われています。



(30年ほど前の高森先生の言葉)

・「本願寺前の総会所へ参っては一番前で一言も漏らすまいと聞いた。全部、方言まで覚えていて後で書いた」
・「火葬場の灰を握って無常を取りつめたり、線路の上に座って取りつめようともした」
・「死んだ後が有るのか、無いのか大学の友達と論議したが、勝てなかった」
・「奈良のおばあさんの所へも聞きに行った。一晩中聞かせてもらったが信心決定が出来ず、あんたは無宿善かもしれないと言われて、泣き泣き帰った」
・「橋の下の乞食になってもいい、後生の一大事が解決出来るなら手足の1本や2本無くなってのかまわん解決したいと思って求めた」
●「私には、教えを受けた先生はいない。親鸞聖人に導かれて信心決定したのです」


 古い講師部、会員さんなら聞いたことがあるでしょう。
 しかし●のところ、「わたしには導く善知識はなかった」にウソがあったのです。


○高森先生と伊藤氏、増井氏との出会い、ご縁の歴史


昭和21年(17歳)
6月先輩の増井悟朗氏に龍谷大学内で声を掛けられ華光同人となり、求道の指針を示される。
7月富山県の実家へ帰省。増井氏より伊藤氏著作の「仏敵」や「華光」誌などの本を送られ読む。
大学の夏休み中に獲信(数え歳18歳)
新学期になって増井氏に獲信したことを話す。

10月学友に獲信体験を語る。また、伊藤氏の「療養と求道」を貸し与える。
伝道部の総会でも熱弁をふるい、華光例会に学友を誘う。
ご縁のある人に「仏敵」を勧める。
●「華光」第5巻、5号に獲信体験を発表する。

昭和23年(19歳)
8月実家の寺に伊藤氏を招き、法話、座談会を開催。
両親、高森先生とご縁のあった5人の座談会の内容を後に出版する。

昭和24年(20歳)
1月華光社より座談会の内容を、高森顕徹著「化城を突破して」と題して出版販売価格100円。
9月第1回全国華光法話大会に参加して説法する。

昭和25年(21歳)
3月「化城を突破して」を「獲信の記録」と改題して再販する。
7月京都で増井悟朗氏と語り合い、吾勝氏と3人で奈良県の伊藤氏の寺を訪問する。

昭和10年(27歳)
12月「会報」執筆始まる。

昭和33年(29歳)
伊藤氏「浄土真宗華光会」を宗教法人に登録。
高森先生は華光会との縁を切り「浄土真宗親鸞会」を結成、宗教法人に登録、会長に就任する。
○伊藤、吾勝氏は高森先生の本心、理由を聞きに富山県に尋ねて来られるが、面会拒否する。

昭和41年(37歳)
1月「華光」誌に最後の年賀挨拶を載せたと聞く。

昭和45年(41歳)
11月「会報」第5集出来る。完結する。

平成11年(70歳)
6月「これが獲信か」のパンフレットを全会員に配布して徹底させる。
華光会を「土蔵秘事に類するもの」異安心として伊藤氏、増井氏を激しく非難する。

○「会報」を廃刊にする。理由は発表されない。
インターネットでは、伊藤氏からの盗作だと非難されていた。
改定版「私の道」も発刊されなかった。


・こんなことが本当だろうか、信じられないと思う方も多いと思います。
 華光会、伊藤、増井氏と縁が有り、10年余りも師として法友として活動を共にしていた過去が実在したのです。
 勇気を出して、事実を明らかに見て下さい。
 これから、その事実と問題点を明らかに致します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


○高森先生
「華光」誌第5巻5号

「学校の伝道部に入り、一意誠らしく話してみたが、真の安心はできない。或る人は信心を戴かない伝道は奇弁だと非難する。それについても私は非常に恥ずかしかった。穴があれば入りたい気もしたが、どうにも私を迷わせただけでありました。名誉獲得に常に走る我が心を哀れと思いながら、なおそれを覆い隠そうとする迷雲は、なかなか私を仏道に近づけなかった。
そこでまた私は、聞くということが我が真宗では大切であると言われるから、大いに聞こうと毎晩毎晩総会所にお参りさせていただきました。ところがいかに説教を聞いても「うまく言うない」「フフン」とあざける内心に、何だか嫌になり、或る晩もあまりに自分の立場に苦しみ、ひとつ徹底的に私の理解を促したいと、布教使さんのもとに行き、自分の疑っていたことを問いただしてみたが、これも明解を得ず、満足せずに悲しく淋しい闇夜を帰ったこともありました。
何とかして私達に、地獄の存在、極楽の有無を確実に指してくれる人はないか。求めつつ、ややもすればこの解答をなし得ざるを自身の偉きが如く考え、人をも迷わし、自分も迷いながら、実に毎日仮夢をやっていたのであります。
はからずも夏休み数日前に、増井君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、さらにまた華光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。南無阿弥陀仏々々々々々々
これも諸兄の方々のお骨折りによるものと、さらに大悲の無限の方便摂化に、ただ感泣するのみであります。毎日毎夜、念仏は楽しい時に苦しい時に、無造作に口より出づる蓄音機にさせていただいて、有難き弥陀の呼び声を聞かせていただけます・・・ただただ、うれしさで一杯なのであります。南無阿弥陀仏今や、地獄極楽の存在など疑ってみようとする心の恐ろしさに身をば悶えるのであります。ただ南無阿弥陀仏々々々
しかし日常生活は煩悩の起こりづめで、ことさらに変わったところもなく、といってそれとて一時の間で、後は悲しみも楽しみにさせていただいております。今後ともますます諸兄の御指導をお願い致す次第であります。」

・獲信に至った経過と信後の心境を正直に告白した文章です。
 それを裏付けるように増井氏の著書「念仏の雄叫び」にも詳しく載っています。



○増井悟朗氏
「念仏の雄叫び」14Pー16P

「彼は、私よりずっと年下で、ズングリした小柄なイガグリ頭で、休憩時間になると、教室で端座して黙想していました。私が、この男ならと目をつけていた一人でした。彼は「地獄、極楽の有無を問われたら、どう答えるか。僕の檀家の予科練帰りの青年なんだがーーー」と質問しました。
それで私は「あんた自身はどうか?」とつつくと、「うん、僕はわかっているが、説明の仕方がわからん」という。入信後、日も浅い私だが、人の信、不信はわかるのです。これは、彼自身の質問だと直感したが、地獄、極楽の存在を問題にする前に、無常観と罪悪観を話してあげれば、地獄行きは人ごとでない、自分だと受け取れるだろう」
と申しましてね、罪悪観と無常観の具体的説明をしたわけです。勿論、他の友人たちにも聞いてほしかったのは言うまでもありません。

九月に入って、夏休み中の研究レポートを出し合いました。
帰途、T君(高森君)のレポートを歩きながら目を通していた私は、胸が熱くなって、そのまま彼の下宿にとってかえしました。
「おい、きみ、よかったなあ・・・」と、手を取りあって法悦を語り合いました。彼は、私から手渡されていた恩師(伊藤康善師)の入信体験記「仏敵」にかじりついて、無常観、罪悪観をつき進めて、ついに獲信したようでありました。」
後で知ったことですが、私を知るまでの彼は、本願寺の総会所の説教聴聞に熱心に通っていたようです。説教の後で講師室を訪ねては「地獄、極楽はありますか」と質問を重ねていました。どの講師も即答する人がない。その応答ぶりで、その人の不信心がピンとくる。誰に尋ねるすべもなく、彼は、悶々としていたというわけです」

・高森先生の告白と内容が一致する。
 増井氏こそ高森先生の顕正者であったのです。
「仏敵」を書かれた伊藤氏こそ高森先生の善知識であったのです。



 皆さん、この事実、聞かれたことありましたか。
 私は以前(30年ほど前)親鸞会から華光会へ行った人から、「高森先生には善知識がおられる、隠されている、私は知った」という電話をうけて、何を馬鹿なことを言っているのか、そんなことがあるなら言われる筈だ、と全く問題にもせず、信じ切っていました。
 ここを読まれている方の中にも当時の私と同じ思いの方もあると思いますが、事実なのです。


○伊藤康善氏
「われらの求道時代」

・華光学生運動44P-45P

伊藤師 「終戦直後の龍大に信仰運動が起こったのは稀しかったね。中心は君(増井氏)や高森君や吾勝君で、その上に池田君が指導していた。一時は龍大生、女子大生が五、六十人も集まったではないか。」

増井氏 「華園会館や三条詰所で信仰の大会をやると三日間で二百人位、集まりました。江州から女学生が多く集まった。その人達に龍大生が信仰示談するので、皆が熱心に聞きましたね。高森君等は京都駅で街頭演説していましたよ。そのご縁で華光会館を建てて下さった北口夫婦に信仰の火が移りました。あの当時に集まった学生諸君も地方寺院の住職として各地で活動しています。」



・華光青年僧を知る228P--229P

伊藤師 「華光の高森君を知ったのは其の頃ですか」

北口夫人 「終戦後の蓮如上人四百五十回忌に田舎の人々を連れて本山に参詣しますと高森先生の天幕伝道を承りました。私と同じようなスッパリした信仰体験談で、今日までどなたからも、これほど元気の良い話を承ったことがありません。これは有難い方に巡り会ったと喜びまして自宅へ招待しました。実は私よりも主人に聞かせたかっのです」

伊藤師 「高森君に対する御主人の印象はどうです」

北口主人 「私は高森先生に初対面した時、粗末は学生服で黒タビに靴をはいておられましょう。二階へ上がる時見たのですが、そのタビが破れています。その姿に感心しましたね。学生ならは服装も飾って皆によく見てもらいたい年頃です。それを捨てて勉学や伝道に熱心なのは普通な方でないと思いました。---」

伊藤師 「あの人は現在北国方面で在家伝道者として大きな感化力をおよぼしています。華光同人の信仰運動は皆が総かかりなっても僕一人には及ばないとホラを吹いていましたが、実際らしいですね。2ケ年先の伝道の日取りもギッシリ詰まっていて京都へ出る時間すら無いのです。龍大で信仰運動を起こし、北国に帰ってから地方でその人ありと言われるくらいで、あの熱烈な説教は奥さんが惚れたように誰でも感動します」



小田あさみさん262P

「講演の後は高森先生を囲んで車座になって示談があるのですが、私はなるべく先生のおそばに近づいて話を聞きました。一週間もすると、先生に分かれるのが悲しくて、家へ帰る道の反対に6里(24キロ)ばかり離れた三次(広島県)までバスで送りました。先生と別れる時に一冊の「仏敵」を手渡されて、「秋の華光大会までには是非、獲信してくれ」と頼まれました」

・伊藤師、増井氏と高森先生がいかに当時、信頼関係が深かったか、知らされます。
華光会館を建てた人の顕正者は高森先生だったのです。

「仏敵」を渡して、これを読んで獲信するように言われていた師を、なぜ「土蔵秘事に類するもの」と罵倒しなければならないのでしょか。



○高森先生

「獲信の記録」について

 この本がまさか60年後に多くの人の知るところとなり問題になるとは高森先生は夢にも思っておられなかったと思います。
 講師部暦のどんな古い人でも、会員さんでも読んだことは無いと思います。絶対に読ませたくない、知られたくない本と思います。

・恩師、伊藤師を富山県の実家の寺に招待して、御法話、ご示談がなされました。
 両親、高森先生とご縁のあった獲信者、5人の方のご示談の様子が目前で行われている様に、活き活きと伝わってくる。
 ここに、特に注目すべき方の体験談が載っていた。

高森先生のお母さんです。
78P-80P

「龍大生になった顕徹は、二年頃から仏教に対する態度がガラリと一変しました。
今まで徹到徹尾、反宗教的な子供が急に有難そうにしきりに念仏し始めるようになりました。
ところが、その念仏が普通でない、喜び方も狂気じみていますので、ああとうとうこの子は仏法狂人になったのではあるまいか、お寺で念仏するのは外聞が悪いことはないが、この子の将来を思うと気が気でありません。
その頃からです、大学の休暇に帰省するや、いなや、これまたどうしたことか、廃立とやら何とやら小難しい理屈を覚えて参りまして、平和で念仏喜んでいる村人を捉えては眼の色を変えて議論します。----
住職(お父さん)に忠告致しました。
「こんなことで顕徹が門徒の信心を惑乱させていますが、貴方は黙って見ていられるのですか。あれは昔からやかましい地獄秘事とやら、土蔵秘事とやら云う異安心では御座いませんか。
何処で、そんな阿呆なことを覚えてきたのやら。この様子では門徒は二派に別れてくるではありませんか、何とか貴方から、注意してやって下さい」
と云うと、住職は済ました顔で「あれが本当なのだ。決して秘事でも異安心でもない、あそこまで真剣に行かぬと当流の信心は徹底しない。
ところが、あそこまで真剣に説く人が少ないのだ。我が子ながら感心な奴が出来た」と云って喜んでいます。
住職がそう云うならば、私が黙って引き込むより外の道はありません。-----
所が私には又、私に相応した様な方法で、如来様の御慈悲に徹底させて頂いたのです」

・これから、生々しく獲信への体験が語られていきます。

伊藤師146P

「仏法王国と云われる此の富山ですら、此の大浦(高森先生の村)で獲信する者が続出すると皆がびっくりする。何故、皆が驚くのか、それは本当の信心を戴いた人が少ない証拠です。--全く、焼け野原の只中で暮らしているような気持ちで居りましたが、我々の同信の友から、高森顕徹と云う弱冠の若武者が飛び出して、轟々たる非難嘲罵を押し切って、廃立の法幢を押し立てた」

・伊藤師は高森先生の活躍を心から期待し、称讃しておられる。



●伊藤師、華光会が「土蔵秘事に類するもの」なら次の疑問が起きてきます。

1  高森先生は増井氏の話を聞き、また「仏敵」「華光」などを読み、獲信したと自ら語っておられるが、18歳の時のその信心も異安心ですか。

2  18歳の時、自分は正しく獲信したが10年余り、伊藤師の信心を異安心と疑問に思わなかった。分からなかったのですか。

3  お父さんは高森先生が善き師(伊藤師)に出会ったことを喜ばれて、奈良県から自分の寺に招待し、説法を門徒と聴聞し、ご示談に参加された。
伊藤師が土蔵秘事の異安心とは言っておられない。もしそうなら、門徒の人に異安心の話を聴聞させてしまったことになり、恐ろしい罪を造られたことになりはしませんか。

4  村の方に高森先生は布教されたが、5名の獲信者は誰も三願転入の話を聞いたと言っていない。廃立は説かれた。
三願転入せずしてアリ一匹助からぬと今、説かれていることに合わないのですが、どう理解すればいいのですか。
この時の村人の信心は皆、異安心ですか。

5  高森先生は18歳で獲信、このご示談は2年後ですが2年ほどの布教で村人5名も獲信されたことになります。
「これが獲信か」には「二十年や三十年で獲られる信心なら、億劫にも獲難し、と言われるはずがない」と非難してありますが、矛盾しませんか。
講師部に、どうしてこのように早く獲信出来る話をされないのですか、不思議ですが。

6  「獲信の記録」を出版したことは大変な間違いだったと、今は思っておられるのですか。もしそうなら、村人に謝って回られたのですか。あれは間違いです、正しい信心ではありませんでしたと。

7  お母さんの獲信体験談は、親鸞会の高岡会館時代に私は直接に他の人々と聞きました。テープも残っていますが、全く「獲信の記録」と同じ話です。
お母さんのこの時の、華光時代の信心は異安心なのですか。
親鸞会時代は同じ体験談ですが、正しい信心なのですか。

8  同じく、滋賀県のT岸○○○さんも、S52年「華光」誌に華光同人として、獲信体験談が載っています。今は親鸞会会員として、浅倉保講師がT岸さんをビデオ取材して、同じ話を多くの会員さんに、紹介していました。同じ人が華光会で言ったことは土蔵秘事に類する異安心で親鸞会へ来て語ったら、尊い話になるのはなぜでしょうか。


○こんな尊い著書をなぜ、親鸞会会員に紹介されないのでしょうか。
獲信の御縁には、ならない本なのでしょうか。



○高森先生

「顕正」
常に虎の説法124P

「然るに、わが浄土真宗は、このような十九、二十の本願に当る浄土宗とは違って、十八願の願意である、信心正因称名報恩の仏意を弘通する教えであるから、信前の人にも信後の人にも、終始一貫して信心正因、称名報恩の教えを勧めなければならない。ーー
手本はいかに信心正因、称名報恩でも機執によって、そのようになれず、或いは定散自力の称名となり、称名正因となるものもあろうが、たゆまずアキラメず信心正因、称名報恩の教えを勧めていれば、やがてその真意を諦得出来るようになるのである。ーー
未熟な人に合わせて信心正因、称名報恩の教え以外の法門を説いて、信心を得る方法に称名せよ、などと教えれば、あたかも猫の手本を与えて虎を書く方法とするようなものである。故に教家は常に虎の説法をしなけらばならないである。

真仮廃立128P
「廃立とは、廃は捨てもの、立は拾いもの、ということで雑行雑修自力は、捨てものであり、廻向せられるものは名号六字である」

・三願転入は何処にもなく廃立が大事と教えてある。18願の世界に入るには、雑行雑修自力を捨てるには、19願の諸善、20願の念仏を励まねば廃らぬ、間にあわぬと知らされぬなど、どこを読んでも書いておられない。

「顕正」は昭和33年発刊。親鸞会結成の年だが、当時と今と説かれることが、違ってきているのではないでしょか。


○「これが獲信か金剛の真心に暗き哀れさ」のウソ

 取り寄せた、華光会の著書を読んで行くと、「これが獲信か」のパンフレットの悪意が読み取れるようになってきた。
 どこなのか、次回の体験談でお話します。
 親鸞会からの一方的情報だけを正しいと信じ切って会員さんにも徹底してきたことが悔やまれてきた。
 このパンフレットの為に、私は華光会に警戒心を抱き続け近づくことが出来なかった。


○増井悟朗先生に電話で質問する

 私は書籍を電話で注文するとき、まだ警戒して子供の名前で注文した。
 しかし読んで行くうち、質問したい気持ちを抑え切れなくなってきた。
 伊藤師はすでに亡くなっておられる。果たして増井先生は、ご健在であろうか。
 すでに80歳を越えておられる筈、若いとき結核で苦しまれたと本にあった。
 ご健在でも、初めての私と話して下されるだろうか。
 親鸞会では、高森先生に未会員が急に電話して話しなんか想像出来ないではないか。電話番号さえ知らされてない。
 しかし「念仏の雄叫び」「親指のふし」「廻心の体験」の内容に聞きたいことがある。
 どうか、どうかと思って華光会館へ電話を入れると、息子さんの増井信先生が名乗られて出られた。
「父は今、用事で出かけていますが、5時頃、帰ると思います」
と言われた。
 あっ、生きておられた、良かったー。話も出来そうな感じだ。
 6つにまとめた質問を5時まで何度も、どう聞くか復習した。
 5時に電話すると出て下さって、自己紹介し親鸞会の会員であることを正直に言った。本を読んで尋ねたいことがありますが、いいですか、と聞くと、どうぞと言われた。

1  阿弥陀仏の救いとは
2  三願転入するとは
3  宿善まかせかとは
4  ご本尊
5  華光会は土蔵秘事か
6  高森先生と華光会の関係


 1時間以上、時の過ぎるのを忘れて、私は質問して聞いた。
 増井先生は一つ、一つ丁寧に話された。

 増井先生の御法話テープのあることも分かったので、
 20本注文した。
「本願のこころ」「六字のいわれ」「二種深信」「光に遭う」「誓願不思議」「救済の予定概念」「罪悪感、無常観」「機法一体」「後生とふみ出す」「大経の構造」「二河白道」「白骨章について」「白道に入るまで」等

 親鸞会では信じられないことだが、90分1000円からあり、初めての人でも頒布していた。
 御法話はビデオ、DVDもあった。
(皆さんも注文されたら、いつでも聞けます)

・「これが獲信か」の非難(6)に「大衆の前では説法しない」はウソだった。

・親鸞会ではビデオ御法話テープのダビングしたら「死刑」と言われていた。除名、除籍は当然だった。結成30周年記念大会、「高森先生講演会ビデオテープ」は30万円もした。私の担当地区で一人求めた人がいた。

 御法話テープが届いてから、妻と隠れて聴聞を始めた。
 本も、テープも見つかれば、除籍に間違いない。
 増井先生は南无阿弥陀仏、六字の心を詳しく説いておられた。

○11月の本部報恩講に妻と参詣して聴聞した。
 高森先生は「聞其名号の名号を聞くとは仏教を聞くことです。
 たとえ、大千世界に満てらん火をも過ぎ行きて聞けと親鸞聖人は教えておられます」と言われた。
 仏法聞きに来ているのに、火の中かき分け仏法聞け、では答えになっていない。

・「たとえ、大千世界に満てらん火をも過ぎゆきて、仏の御名を聞く人は、永く不退にかなうなり」仏の御名を聞けと、仰っているではないか。

・「聞というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」でないか。

・「この故に、一切の聖教というも、ただ南无阿弥陀仏の六字を信ぜしめんが為なり」御文章5帖9通六字の心を聞けと蓮如上人も仏教の究極を教えておれる。

・「会報」第2集52P-53P
「仏像を通じて仏心を受け取り、仏の真実を聞かなければならない。今も同じで南无阿弥陀仏の六字にこもる仏心を汲み取らなければ、名号の尊さを殺すことになる。それ故に名号六字は無量無限不可思議絶対の功徳を私達に受け取り易いすがたにせられたものであるから、我々は六字の名号を通して阿弥陀仏の仏心に直入しなければならない」
そう書いておられながら、この「会報」は廃刊にしてしまったのだ。何ということか。一体何を説き、何を聞け、というのか。

・南无阿弥陀仏の心は説かれなかった。阿弥陀仏の仏心にどうしたら直入できるのか、参詣者、特に長い間聴聞して来た人は聞きたいのだ。
 核心が完全にボケた話になってしまっている。私だけだろうか、このように感じるのは。
 私の心の中で、もうあかん、とハッキリした。
 南无阿弥陀仏の仏心を説けない人に、私は40年近くも聞いていたのか。
 増井先生の御法話との違いを、まざまざと知らされた。

・「こんな話どれだけ聞いていても助かりませんよ」と土蔵秘事の者は近づいて来て誘う、と高森先生は言われたが、その通りではないだろうか。分かっておられるのだろうか。自分のことだと。

・帰りに妻に「もうここへは聞きに来ないよ」と言うと妻も私も、と言った。理由を聞くと、同じことを感じていた。二人で親鸞会退会を決意した。

・退会となれば、40年近く御縁あった方達と近づくことは無くなるだろう。
親鸞会の中で生きてきた私達は孤立するに違いない。
「なんで、どうして、何をこれまで聞いていたの、恩知らず」
 あらゆる非難、中傷もあるだろう。
 しかし、私達は、今生で後生の解決をする為に生まれてきたのだ。
 あらゆるものの命を奪いながら、生かされているのだ。
 今度こそ仏法聞いて、本願を聞き抜いて、迷いの打ち止めを必ず果たしますと誓って過去世も求めてきたのではないか。
 生まれた途端に、そのことを忘れた生活の人が多いが、私達は、尊い仏縁に恵まれたのだ。何より有難い。
 いつか別れ行く人々との生活を楽しむ為に、生きているのではない。
 今のまま聞いていれば、活動していれば、宿善が厚くなって開発するんだろう、その内、その内と漠然とした聞法はもう出来ない。Tさんが身体をかけて教えて下さったのだ。
 ハッキリと説かれる方に出会えたのだ。このご縁はどんな非難があって問題でない。もう未練も、迷いもなかった。


○12月にもう一度、増井先生に電話した。

 親鸞会をやめて聞かせて頂きます、と言うと「親鸞会が助けるのでもない、華光会が助けるのでもない。
 これ皆、無常のものですよ。いつ、どうなるか分かりません。
 阿弥陀仏の大願業力に救われるのですから。
 来る人は拒まず、去る人は追わず、御縁ですから。
 親鸞会をやめるも、そのままでも、自由にして下さい」と言われた。
 高森先生以外の話を聞くな、本を読むな、除名だぞ、あまりにも、狭い狭い親鸞会と違い過ぎると思った。


○夫婦で支部長に「携帯用御本尊」をお返しして退会を報告した。

 驚いた支部長は「どうしてですか。高森先生のご恩を何と思っているのですか」と強く言ってきた。
 何十年も同じ講師部の仲だったから、支部長の気持ちは良く分かる。私も同じことを言っただろう。
 しかし頭が真っ白になっている支部長に今の私達の心を話しても到底、理解できない。高森先生しか見えないのだから。
 何も反論せず「お世話になりました」と言って帰った。


○遂に、阿弥陀仏の偉大な、強縁に引かれて私達夫婦は京都の華光会1月報恩講に参詣することとなった。

それからのことは、次回にお話致します。

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COMMENTS

早く獲信出来る話???

5  高森先生は18歳で獲信、このご示談は2年後ですが
2年ほどの布教で村人5名も獲信されたことになります。

どうしてこのように早く獲信出来る話をされないのですか
         ~~~~~~~~~~~~~~~~~
・「こんな話どれだけ聞いていても助かりませんよ」と
土蔵秘事の者は近づいて来て誘う、と高森先生は言われたが、
その通りではないだろうか。分かっておられるのだろうか。
自分のことだと。
---------------------------------------------------

やれやれ、一人一人のしのぎだと分かっておられなかったか。
「宿善も遅速あり。されば已・今・当の往生あり。
弥陀の光明にあひて、はやく開くる人もあり、遅く開くる人もあり。」
(蓮如上人御一代記聞書)

早く獲信したい! それは分かるが、
それこそ増井師の言うところの信心決定病。
で、華光では早く獲信出来る話がきけましたか・・・
元親鸞会講師さんの信心がまことであればよいのだが。
「はやくさづくるところの秘事をありのままに懺悔して」
(御文章 二帖14)
いかに決定できぬ自分であるかということを聞きぬいてほしい。

「細々に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せ」(御文章 二帖1)
と、華光では「信後」の聞法が重要視されているときく。
よくよく念かって聞いていってください。

しかしこの人も「土蔵秘事に類するもの」と言われているところに
「早く獲信出来る話」などと何でまた言うんだか・・・

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