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質疑応答7

【質問】

 お初でございます。渡海難(とうみかたし)と申します。高森先生の領解を伺おうとは思いません。清森先生の御領解を伺いたいと思います。
 植物人間でも救われると仰っていますね。救われた植物人間と、救われなかった植物人間との違いはどのようなものでしょうか。植物人間が救われるとどのようになるのでしょうか。もし、救われなかったらどのようになっていたのでしょうか。阿弥陀仏に救われた植物人間と、阿弥陀仏の救いがなかった場合の植物人間との違いをお知らせ下さい。
 救われるということ、あるいは救われないと言うこと。すなわち、救いは何をもたらしてくるのでしょうか。救いの実体はどのようなことであるとお考えでしょうか。救いという言葉を使わないで別の言葉で表すと、救いの本質とはどのような内容になるのでしょうか。清森先生の御領解を伺いたいと思います。



【回答】


 上記の質問については、「安心決定鈔」に、以下のように書かれています。


●帰命の信心おこりしかども、生死の身をうけしより、しかるべき業因にて、無記になりたれども、往生は他力の仏智にひかれて、うたがいなし。たとえば睡眠したれども、月のひかりはてらすがごとし。無記心のなかにも摂取のひかりたえざれば、ひかりのちからにて無記の心ながら往生するなり。


 無記とは、意識の無い状態、植物人間と理解したら良いと思います。

 眠っている人にも、月の光が照らすように、植物人間になったとしても、弥陀の光明が照らしているので、往生できると説かれています。

 ですから、往生できるか、できないか、という違いがあります。


 後半のご質問ですが、植物人間に、もたらされる救いを尋ねておられるのでしょうか?
 健康な人のことを尋ねておられるのでしょうか?

 すみませんが、ハッキリしませんでしたので、お願いします。
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