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質疑応答82

【質問】


 獲信した人を除いて後生の一大事(無間地獄に堕ちる)を抱えていない人はいるのか?
 (化土往生できる人は現代の世に存在するのか?)



【回答】


 まず、先に化土往生について、解説したいと思います。

 七高僧は言うまでもなく、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人ともに、化土往生を教えられています。


●仏智不思議をうたがいて 善本徳本たのむひと
 辺地懈慢にうまるれば 大慈大悲はえざりけり(正像末和讃)

●罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは
 疑心の善人なるゆえに 方便化土にとまるなり(正像末和讃)

●仏智不思議をうたがいて 罪福信ずる有情は
 宮殿にかならずうまるれば 胎生のものとときたまう(正像末和讃)

●名号をとなうというとも、他力本願を信ぜざらんは、辺地にうまるべし。(末灯鈔)

●自力の称名は、臨終の所期、おもいのごとくならん定、辺地の往生なり。(口伝抄)

●「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」というは、雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり、また専修正行になりきわまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽に生ずべしとなり。これすなわち、専雑二修の浅深を判じたまえるこころなり。『讃』にいわく、「報の浄土の往生は、おおからずとぞ、あらわせる 化土にうまるる衆生をば、すくなからずとおしえたり」といえるこころなり。(正信偈大意)



 そこで疑問になるが、実際に化土往生している人が、いるのかということです。

 これについて、親鸞聖人は以下のように仰っています。



●報土の信者はおおからず 化土の行者はかずおおし
自力の菩提かなわねば 久遠劫より流転せり(正像末和讃)

●報の浄土の往生は おおからずとぞあらわせる
化土にうまるる衆生をば すくなからずとおしえたり(高僧和讃)



 私には、実際に化土往生している人がいるのかどうか、分かりません。しかし、親鸞聖人は、たくさんの人が、化土往生していると説かれています。

 三願転入の御文では、親鸞聖人は、双樹林下往生、難思往生を通って、十八願の世界に出られたと書かれています。双樹林下往生とは化土往生のことです。



●ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離れ、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入し、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓い、良に由あるかな。(教行信証化土巻)

●観経往生ともうすは、これみな方便化土の往生なり。これを双樹林下往生ともうすなり。(三経往生文類)



 親鸞聖人は、化土往生に永く止まっておられたと仰っています。

 もし、その時に親鸞聖人が、亡くなられていたら、本当に化土に往生されていたのかどうかは、私には分かりません。

 しかし、間違いなく言えることは、親鸞聖人は、化土往生の救いを真剣に求めておられたということです。

 これが全人類が通らねばならない道ならば、すべての人は、化土往生を求める過程を経なければ、十八願の世界には出られないことになります。

 そう考えますと、善知識方が、化土往生を教えられたのは、至極当然のことのように思います。



●釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発して あまねく諸有海を化したまふ。(教行信証化土巻)

※福徳蔵は十九願、化土往生の教え

●釈迦牟尼仏は、功徳蔵を開演して、十方濁世を勧化したまう。阿弥陀如来は、もと果遂の誓いを発して、諸有の群生海を悲引したまえり。(教行信証化土巻)

※功徳蔵は二十願、化土往生の教え

●それ濁世の道俗、速やかに円修至徳の真門に入りて、難思往生を願うべし。(教行信証化土巻)



 もしかしたら、私達は、どんなに頑張っても、化土往生は出来ないのかも知れません。

 仮に、そうだとしても、それを言ったら「お終い」な訳です。誰も十九願を実践しようとする人など、いなくなります。

 化土往生を説かれたのは方便なのですから、「我々を真実に近づけ、真実を体得させるに絶対必要なもの」なのです。



 私は、真面目に仏法を求めている人は、化土往生できる、と考えるべきだと思います。

 報土に生まれさせるお力を持つ阿弥陀仏が、化土に生まれさせる力さえ無いのでしょうか?

 釈尊、七高僧、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人が、口をそろえて、「化土に生まれられる」と仰っているのに、それに反発して、「どうせ化土には生まれられない」と言っていては、仏法にならないと思います。



 私は、参詣できなかったので分かりませんが、昨年の香港御法話で、高森先生が、「真面目に仏法を求めてゆけば、臨終に観音菩薩が説法して救って下さる」と仰った、と聞きました。

 それが事実だとすれば、まさに十九願、化土往生の教えです。

 これを聞かれて、親鸞学徒の皆さんは、やる気を出されて、仏法を実践しようと思われたのではないでしょうか?

 高森先生が、化土という言葉を使われずに、化土往生を説かれたのかも知れません。




 次に、必堕無間の一大事について、思うところを述べさせて頂きます。
 親鸞会が、「必堕無間」の根拠としているのは、以下の御文です。

●この信心を獲得せずは、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。(御文章)


 私は、この御文を一概に否定するつもりはありません。しかし、この一文をもって、「一切衆生 必堕無間」と結論づけて良いものか、という点については、疑問が残ります。



 まず、すでに書きましたように、化土往生を説かれなかった善知識はおられません。化土は、信心決定していない人が往く世界ですから、「信心を獲得せずは、無間地獄に堕在すべし」という教えと相反致します。

 蓮如上人御自身が、「正信偈大意」には、自力の人は化土に生まれ、化土に生まれる人が多いと説かれているのですから、どちらが真意か、分かりません。

 しかし、御文章はあくまでお手紙ですから、対機説法です。その機に応じて、必要があったから、そのように説かれたのかも知れません。誰に対しても、そのように説いて良いかは疑問が残ります。

 一方、「正信偈大意」は、親鸞聖人の御心を明らかにするために執筆された、事実上、唯一の御著書ですから、普遍性があると思います。

 いずれにしましても、「信心獲得せずば…」のみを採用し強調して、すべての善知識方が説かれた化土往生を説かないというのは、かなり偏った説き方ではないでしょうか?



 次に、化土にも往けない人は、無間地獄なのかという点ですが、親鸞聖人は、六道輪廻する、という説き方をされています。


●もしまた、この度、疑網に覆蔽せられなば、更りて、また曠劫を径歴せん。(教行信証総序)

●呼吸の頃、すなわちこれ来生なり。一度、人身を失いぬれば万劫にも復らず。(教行信証行巻)

●自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に没し、常に流転して、出離の縁あることなし、と深信す。(愚禿鈔)



 親鸞聖人は「必ず無間地獄に堕ちる」という説き方はされていませんので、親鸞聖人が仰っているように、「六道輪廻する」と理解した方が良いと思います。

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COMMENTS

No title

親鸞会の講師になった息子
http://kazoku.sub.jp/koe/koe05.htm


No title

かつて2chでこういう意見が出てました。
―――――――――――――――――――――――――
634 名前:念仏者 :04/12/18 02:48:13 ID:uNOq8wLg
「この信心を獲得せずは極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」
「もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、かえってまた曠劫を径歴せん。」

これらはみな信を基礎としてその上での教えであり、機の深信の告白、懺悔の言葉である。
そして機の深信の言葉であるのだから当然、その裏には法の深信が同居している。

信後の味わいである「無間地獄に堕在すべきものなり」だけを取り出してはいけない。

信心決定すると自分は無間地獄に堕ちる身、罪悪深重であったことがわかり、
信心決定すると自分は極楽浄土に往生する身、本願のお目当てであったことがわかる。

信心決定しないと無間地獄に堕ちるぞ! と教えるのは
信心決定しないと極楽浄土に往生するぞ! と教えるのと同じである。
わかりますか?

「この信心を獲得せずは極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」
「この信心を獲得せずは無間地獄には堕在せずして極楽に往生すべきものなり」

絶対他力の大慈悲心を深く知り、このように読めるようにならなくてはならない。
―――――――――――――――――――――――――

「唯除五逆誹謗正法」が実機を示して十方衆生を摂取する法門を表現しているようなことでしょうか。

阿弥陀仏の本願を明らかにしてこられた親鸞聖人、蓮如上人であるならば、それらの方々のご文は自力の信心ではなく機法二種一具の深信に即して説かれたものと解すべきではないでしょうか。
もし高森先生が「絶対他力の大慈悲心を深く知」った方であるならば、この2chの念仏者さんのように読めるのが本来のように思います。
堕ちる機の面の表現だけをとらえて先達のご文を「人は地獄に堕ちる」ということの根拠のように解釈してしまうというのはどうなのでしょう。
ご参考までに。

これは分かりやすい

清森さんの文章読んで、今までの化土往生に対する疑問がスーッと消えていきました。
とてもわかりやすい説明だと思います。

No title

>親鸞会の講師になった息子
http://kazoku.sub.jp/koe/koe05.htm

下手にアクセスすると危険です。
気をつけましょう。

清森さん自身は、化土往生できるおつもりなのでしょうね。
五逆、謗法の無間業を造っていないのならともかく、まったくおめでた
い人です。蓮如上人が、御文章のどこにも化土往生にふれておられない
ことを、よ~く考えてみましょう。


「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべ
きものなり」このお言葉は、すべての御文章の根底に流れている蓮如上
人のお心です。一切経を貫く釈尊の教えです。それが読めないのは、信
仰が幼稚園だからです。

No title

一言さんのお蔭で、化土往生を教えられた釈尊も、七高僧も、親鸞聖人も、覚如上人も、正信偈大意も、ぜんぶ間違いだと分かりりました。

どうもありがとうございました。

No title

一言さんのお蔭で、必堕無間を説かれなかった釈尊も、七高僧も、親鸞聖人も、覚如上人も、みんな信仰が幼稚園ということが分かりました。

どうもありがとうございました。

No title

「よ~く考えてみましょう」「信仰が幼稚園」は、弘宣部長の口癖でしたね。
以前の法論でも使っていましたよ。


親鸞会・公開法論
http://houron.exblog.jp/7322773/

> 頭を冷やして、よ~く考えてみましょう。


http://houron.exblog.jp/7322727/
親鸞会・公開法論

>「カミソリ聖教」と言われるように、信仰の幼稚園が歎異鈔を振り回すと、こういうとんでもないことになるのだ、ということがよく分かります。

蓮如会だよ

>一言さんのお蔭で、化土往生を教えられた釈尊も、七高僧も、親鸞聖人も、覚如上人も、正信偈大意も、ぜんぶ間違いだと分かりりました。

 だから、私は以前から「蓮如会」改称すべきだと言っているんですよ。
 親鸞会では、化土往生を説かれた釈尊も、七高僧も、親鸞聖人も、覚如上人も間違いなのですから、御文章を根本聖典として、新しい宗派を作れば良いんです。
 蓮如上人の教えを「親鸞聖人の教えを一器の水を一器に移すように…」なんて言っているのは親鸞会くらいでしょう。

 親鸞聖人が、教行信証のどこにも必堕無間と書かれていないことを、よ~く考えてみましょう。

No title

>「よ~く考えてみましょう」「信仰が幼稚園」は、弘宣部長の口癖でしたね。
>以前の法論でも使っていましたよ。

渡部弘宣部長もこのサイトは気になって、毎日みているようですね。

書き込みまでしてw・・・相当、影響力があるのだと分かります。


是非、続けて読んでもらいたいですね。

彼らが書き込めば書き込むほど、盛り上がるので。

また捏造ですか?

一言さんの正体は、W部さんか、F田さんで決定のようですね。
言葉遣いが同じすぎる。
偶然の一致では説明できないでしょう。

華光会の体験談が、デタラメであったことも明らかになりました。
私にも華光の知り合いがいますが、一言さんの書き込みとかなり違います。
親鸞会を守るためとはいえ、捏造の書き込みはまずいでしょう。

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