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質疑応答84

【質問】


高森先生は、阿弥陀仏は18願で十方衆生を「唯除逆謗の者」と見てとられていると教えて下さいますが、これは間違いだと思われますか?



【回答】


 阿弥陀仏の御心は、私には分かりません。

 前回も申し上げましたように、親鸞聖人は、逆謗の者でも救われると説かれています。

●四十八願の中のごとき、謗法・五逆を除くことは、しかるにこの二業、その障極重なり。衆生もし造れば、直ちに阿鼻に入りて、歴劫周章して出ずべきに由なし。ただ如来、それこの二つの過を造らんを恐れて、方便して止めて「往生を得ず」と言えり、またこれ摂せざるにはあらざるなり。(教行信証信巻)

 ですから、阿弥陀仏が、十方衆生を逆謗と見てとられていると、味わうことは出来ると思います。(逆謗の者でも救われるということと、十方衆生が逆謗だということは違いますが。)



 実際は、十方衆生は逆謗なのかも知れませんが、「十方衆生は逆謗だから、必堕無間なのだよ」という説き方はされていないということです。

 善知識方は、あくまで、「煩悩具足だから、六道輪廻しなければならないのだ」という説き方をされています。

 蓮如上人が、例外的な説き方をされている所がありますが、その部分のみを強調して、無間地獄以外に生まれるのは間違いだと教えるのは、極めて偏った説き方になると思います。



 私も分からないところなのですが、

(1)十方衆生には、逆謗の者と、そうでない者がある。だから地獄に堕ちている衆生もあれば、畜生や人間に生まれている者もある。

(2)十方衆生は全て逆謗だが、阿弥陀仏のお力によって、畜生や人間に生まれている者もある。



(1)ならば、もちろん必堕無間ではありませんが、(2)だとしても、死後も阿弥陀仏のお力はかかり続けますので、やはり必堕無間ではないことになります。



 善知識方は、(1)の説き方をされているようです。

●しかるに謗法の罪は未だ為らざれば、また止めて「もし謗法を起こさばすなわち生まるることを得じ」と言う。これは未造業について解するなり。(教行信証信巻)

●「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」というは、凡夫も聖人も五逆も謗法も、ひとしく大海に回入すれば、もろもろのみずの、うみにいりて一味なるがごとし、といえるこころなり。(正信偈大意)



 最初から、五逆謗法と決め付けてしまっては、誰も善に励もうとする者がいないから、方便で仰っているのでしょうか?

 それとも、実際に、五逆謗法ではない人が、いるのでしょうか?

 私には、分かりません。



 蓮如上人が、「信心獲得せずば、無間地獄に堕在すべし」と仰っている部分がありますので、対機説法で、そのような説き方をする場合もあるのかも知れません。

 しかし、誰に対しても、そのように説けば良いわけではないと思います。

 まして、化土往生を説いたり、後生の一大事を六道輪廻と説くことを否定するのは、善知識方の説き方を否定することになるので、間違いだと思います。
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